群馬大学病院医療事故の深層:執刀医の過失と組織的課題、再発防止への道のり

2014年11月、北関東最大級の拠点病院である群馬大学医学部附属病院で、衝撃的な医療事故が発覚しました。同一の執刀医による肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者8名が術後4ヵ月以内に死亡していたという事実です。この問題は、その後さらに多くの犠牲者が判明し、病院の構造的な問題にまで発展しました。本記事では、当時の報道と調査報告に基づき、群馬大学病院医療事故の経緯、執刀医の責任、病院側の課題、そして再発防止に向けた取り組みの深層に迫ります。

執刀医X氏の「劣悪な技術」と遺族の深い怒り

事故発覚当時、執刀医であるX医師が担当した手術において、術後4ヵ月以内に死亡した患者は、5年間で腹腔鏡手術の8名に加え、開腹手術の10名を含む計18名に上ることが明らかになりました。この事態を受け、病院は2015年3月3日に「手術のすべてで過失があった」とする最終報告を行い、医療ミスを認めました。

被害者弁護団の事務局長を務める梶浦明裕弁護士は、X医師の手術技術について「鉗子のハンドリングが悪く、剥離から止血まで全体としてレベルが低い」「関係ない臓器を傷つけて血の海の中で手術しているような状態で、相当ヘタだ」と厳しく断じています。遺族は、X医師が事故発覚当初から連絡を絶ち、面会要求にも応じなかったことに強い不信感を抱きました。

さらに問題視されたのは、手術に関する事前の説明(インフォームド・コンセント)のずさんさです。70代の母親を亡くした女性は「『簡単な手術だし、回復も早い』『体力的にも今がチャンス!』と強く手術を勧められたことしか記憶にない。10分~20分程度の、ごく簡単な説明だった」と証言しています。80代の父親を亡くした男性は、X医師が謝罪文1枚と大学に提出した反論文13枚を遺族に送りつけてきたことに憤慨しました。謝罪の言葉はたった一文で、責任を大学に転嫁したり、自身の過失を否定する主張に圧倒的な分量を割いており、遺族の心情を完全に無視したものでした。

責任転嫁の応酬:医師と病院の対立

群馬大学病院が2015年3月に発表した最終報告書では、X医師の手術技術の拙さ、手術に耐えられるかの判断に必要な肝臓の容量計算の欠如、カルテ記載の不備、インフォームド・コンセントの不十分さなどが指摘されました。しかし、X医師はこの報告書に対する反論を病院側に送付し、同年3月末に退職。同年6月には、遺族と弁護士にも同じ反論文を送付しました。

反論文では、カルテ記載の不備は認めたものの、「大学の調査報告は間違っており、全例について過失はないと考えている」「患者側への説明も1時間以上かけて行った」と主張し、病院批判と自己保身に終始する内容でした。

病院の聞き取りも拒否し、前橋市内の自宅からも姿を消していたX医師を、FRIDAYは2015年7月に発見し直撃取材しました。X医師は「今は非常勤として、別の病院で働いている」「私が答えてはいけないと、弁護士に言われている」と繰り返しながらも、病院側に反論している理由について語り始めました。「3月の最終報告の前に、(自分の反論も一緒に)『公表してくれ』と伝えていたんです。しかし、どういう意図があったのかはわからないが、大学側が公表してくれなかった。(反論を)隠蔽したのかどうかはわかりませんが、報道されたのは違う内容でした」。

医療事故後に姿を消していた群馬大学病院の執刀医X氏がFRIDAYの直撃取材に応じる様子医療事故後に姿を消していた群馬大学病院の執刀医X氏がFRIDAYの直撃取材に応じる様子

外部調査委員会による病院の構造的問題指摘

2015年8月、外部メンバーによる調査委員会が発足しました。この調査により、X医師が群馬大学病院に着任した2007年から2014年の間に、さらに12人の死亡例があったことが明らかになり、総死亡者数は計30人に膨れ上がりました。

同委員会が2016年7月に出した報告書では、医療事故の原因について、これまではX医師の個人的な資質が取り沙汰されることが多かったものの、群馬大学病院のガバナンス(組織統治)に原因があったと結論付けました。

特に指摘されたのは、全国の大学病院でも珍しい、同一病院内に異なる外科が存在するシステムでした。前身である前橋医学専門学校時代から存在した第一外科に加え、1954年に分派する形で第二外科(臓器病態外科学分野)が開設されたことで、以降、二つの外科は同じ病院内で対立関係にありました。群馬大学医学部OBは「手術数や珍しい症例での競い合いは日常茶飯事」であり、「『群大は最先端』と誇っていた腹腔鏡手術なども、そんな空気の中で乱発されたように感じられる」と証言しています。病院上層部もこの「患者不在の張り合い」を認識しながらも、改善を訴える声が黙殺されていたという実態が浮き彫りになりました。

和解と群馬大学病院の改革:教訓と未来へ

2018年8月、群馬大学病院は遺族会との間で和解が成立し、病院側は改めて体制の不備と医療ミスを謝罪しました。和解に際し、病院側は再発防止策を遺族会との「約束条項」に盛り込むことも約束しました。X医師は2016年の外部調査委員会の報告書を受けて、大学側から懲戒解雇相当(2015年3月で自主退職済みのため)の処分を受けています。

その後、群馬大学病院は地道な自主改革の道を歩んでいます。第一外科と第二外科の統合はその一環ですが、特に画期的なのは、患者へのカルテ開示制度の導入です。一般の病院では申請が必要で、治療終了後一定期間が経ってからの閲覧が多い中、群馬大学病院では患者が希望すれば、自身の電子カルテにリアルタイムでアクセスし、閲覧できるシステムを導入しました。これは国内の病院では稀な先進的な取り組みです。

しかし、この先進的な制度が実現した陰には、多くの患者が理不尽に命を落とすことになったこの痛ましい事故の存在があったことを忘れてはなりません。群馬大学病院の敷地内には『誓いの碑』が建立され、毎年9月の医療安全週間には関係者らが集まって手を合わせ、二度とこのような悲劇を繰り返さないという誓いを新たにしています。

参考文献

  • FRIDAYデジタル: 『オペ後に患者が次々と 群馬大病院「18人死亡」執刀医をついに発見「弁明告白」』 (2015年7月31日号掲載記事を再掲)
  • 群馬大学医学部附属病院 医療事故調査委員会 最終報告書 (2016年7月)
  • その他、関連する報道資料および病院発表資料