ベルリン慰安婦像、設置5年で私有地移設へ?日本の撤去要求と「固定化」の現実

ドイツの首都ベルリンの公有地に慰安婦を象徴する「少女像」が設置されてから、来る9月で5年を迎えます。当初は期限付きの「芸術作品」として設置されたこの像ですが、日本政府が継続的に求めてきた撤去とは対照的に、私有地への移設を巡る議論が進み、「固定化」される可能性が現実味を帯びてきています。国際社会における歴史認識問題、特に慰安婦問題に関する議論の複雑さが改めて浮き彫りになっています。

ベルリンの少女像:現状と周辺環境

ベルリンの喧騒から少し離れた閑静な住宅街の一角、広い歩道に少女像は静かに佇んでいます。周囲には背の高い街路樹が木陰を作り、ベンチで一休みする市民の姿も多く見られます。7月中旬にこのミッテ区を訪れると、像の一部である隣の椅子には、保育園帰りの子どもたちが無邪気に登って遊ぶ姿が見られました。像は地元の日常風景の一部となりつつあるかのようです。

設置経緯とミッテ区の揺れる判断

このベルリンの少女像は、2020年9月に設置されました。ドイツの韓国系市民団体「コリア協議会」が中心となり、韓国の元慰安婦支援団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)が制作費などを支援しました。当時の文在寅政権が、2015年の日韓合意がうたう「最終的かつ不可逆的な解決」を覆し、日本にさらなる対応を迫る動きが背景にありました。

ミッテ区の判断は設置当初から揺れ動きました。当初は「芸術作品」として1年間の期限付きで区有地への設置を許可したものの、設置直後には「日韓間の複雑な政治的・歴史的対立をドイツで扱うのは適切ではない」との理由で許可を取り消しました。しかし、コリア協議会が撤去差し止めを求めて訴訟を起こしたことを受け、区は再び設置を容認する姿勢に転じました。2021年には設置期限が一度延長され、2022年に期限を迎えた後も少女像は路上に残されたままでした。コリア協議会は持続的な設置許可を要求し続けましたが、ミッテ区は2024年9月に撤去を要請し、従わない場合には過料を科すと警告。これに対し、コリア協議会はベルリン行政裁判所に提訴しました。2025年4月の判決に基づき、区は改めて設置期限を同年9月28日としましたが、コリア協議会はあくまで撤去に応じない姿勢を示しています。

ベルリンの慰安婦像撤去命令に抗議する活動家たち(2020年10月撮影)ベルリンの慰安婦像撤去命令に抗議する活動家たち(2020年10月撮影)

私有地移設の動き:新たな展開

ミッテ区が対応に苦慮する中、像の近くに本部を置く住宅共同組合が「助け船」を出しました。組合の会員は像を「戦時における女性への暴力全般に対して声を上げるもの」と認識しており、「代替地を探しているのなら」と組合側から土地の提供を提案したのです。代表のクリスチャン・パルマー氏によると、「日韓の政治的な対立に巻き込まれたくないという意見もあったが、大半の会員は提供に前向きだった」と話しています。この私有地への移設が実現すれば、少女像の「固定化」がさらに進む可能性が高まります。

日本政府の継続的な撤去要求

日本政府は、慰安婦問題における「強制連行」や「性奴隷」といった表現は事実と異なるとし、少女像の撤去を繰り返し求めてきました。2022年には、当時の岸田文雄首相が当時のショルツ独首相との会談において撤去を要請した経緯もあります。外務省のホームページでは、ドイツ語でも関連する情報発信を行うなど、多角的に対応してきました。在ドイツ日本大使館は、「ドイツに慰安婦像が設置されていることは極めて残念であり、引き続き速やかな撤去を求める」との立場を表明しており、この問題に対する日本政府の強い姿勢は変わっていません。

結論

ベルリンの慰安婦像は、設置から5年を迎え、その存在を巡る状況は一層複雑化しています。ミッテ区の揺れる対応、韓国系市民団体の設置継続への強い意志、そして日本政府の粘り強い撤去要求が交錯する中で、新たな私有地への移設という展開が示されました。これは、像が公有地から撤去される可能性を排除し、むしろその存在を「固定化」する方向に動くことを示唆しています。国際的な歴史認識問題の難しさ、そしてそれぞれの立場の主張がぶつかり合う現実を、このベルリンの少女像は象徴していると言えるでしょう。

参考文献