Mrs. GREEN APPLEがデビュー10周年を記念して山下ふ頭で開催した野外ライブは、その熱狂の一方で騒音問題を引き起こし、一部ファンの発言が「民度」を問われる事態へと発展しています。近隣住民からの苦情に対し、「無料でミセスが聞けるんだから良い」「僕たちは何万も払っている」といった自己中心的な声がSNS上で拡散され、アーティストを応援する「ファン」という存在のあり方について、改めて社会的な議論が巻き起こっています。
「無料で聞けるんだから」が象徴するファンの自己中心性
ライブ会場から漏れ伝わる重低音へのクレームに対し、「無料でミセス聞けるんだからいいと思いなよ笑笑笑僕たちは何万もかけていってるんだからさ。」や「来年は更に爆音でやってくださいな。低音マシマシで。」、「10周年っていう節目のLIVE。人生沢山時間がある中でのたった合計6時間。素敵なLIVEをしてるんだろうなってどうしてで思えないのだろう。生きづらい、楽しみづらい世の中。。」といった、批判を試みるファンからの反論が相次ぎました。このような発言は、良識ある多くのファンが逆効果と理解しているにもかかわらず、「信者化」してしまったと見られる一部の人々には届いていない現状があります。
冷静に考えれば、「音漏れが聞けて幸せ」だとか「ちょっとうるさいぐらい我慢しろよ」などという言葉は控えるべきですが、反射的に飛び出してしまう。近年、アーティストへの愛があまりに深いあまり、周囲への配慮を欠いた自己本位な言葉を平気で発するファンが増加している傾向が見受けられます。これは、単なる熱狂を超え、他者の生活圏や感情を軽視する姿勢の表れと言えるでしょう。
Mrs. GREEN APPLEの山下ふ頭での野外ライブの様子、騒音問題で物議を醸す
愛情の歪み:他者へ「好き」を押し付ける問題点
今回のMrs. GREEN APPLEの騒音問題は、ファンの自己中心的な愛情が抱える根本的な問題点を浮き彫りにしました。「無料でミセスが聞けるんだからいいと思いなよ」という発言は、自身の趣味や好みを他者に無条件に押し付け、共感を強要することに疑問を感じていない心理を象徴しています。自分が熱狂的に楽しむ分には何ら問題ありませんが、それを他者の生活圏にまで持ち込み、不快感を覚える人々に対しても「なぜ理解できないのか」という姿勢を取ることは、傲慢と指摘せざるを得ません。
これは、犬が苦手な人に対し「こんなにかわいいのに、どうして嫌がるの?」と言う愛犬家の心理に類似しています。「私のかわいいミセスが10周年という記念イヤーなのだから、みんなで祝福してくれてもいいではないか」という思考は、熱心に何かを愛するというポジティブな行為を免罪符とし、他者のプライバシーや平穏な日常を平気で侵害する行為に繋がります。このような振る舞いは、もはや「ファン」という範疇を超え、周囲への配慮を著しく欠いた自己中心的な行動とみなされます。結果として、今回多くの人々がMrs. GREEN APPLEの一部のファンに眉をひそめ、社会的な批判へと発展したと考えられます。
結論
Mrs. GREEN APPLEの野外ライブ騒音問題は、単なる迷惑行為に留まらず、現代社会におけるファン文化が抱える深刻な課題、特に「自己中心的な愛情」がもたらす影響を鮮明に示しました。アーティストへの深い愛着は素晴らしいものですが、それが他者の生活や権利を侵害する免罪符となってはなりません。音楽イベントが今後も円滑に開催され、アーティストとファン、そして地域住民が共存していくためには、ファン一人ひとりが自身の行動に対する社会的責任を自覚し、他者への配慮を常に忘れない姿勢が不可欠です。今回の事例は、全てのファンにとって、自身の「好き」と社会との調和を考える貴重な機会となるでしょう。
参考文献
- Yahoo!ニュース: Mrs. GREEN APPLE「爆音ライブ騒音問題」に「無料なんだから我慢しろ」ファンが火に油…「信者化」する自己中な愛情の歪み (2024年7月30日掲載)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a261474ccc29e309319647387f26ff88e9f57f43