五月みどり、85歳で介護施設へ:長女が語る秘められた近況と歌が繋ぐ絆

1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』で『一週間に十日来い』を歌い、瞬間最高視聴率81.4%を叩き出した伝説の歌手、五月みどり(85才)。あれから約60年が経ち、歌手、女優、画家として多岐にわたる活動を続けてきた彼女は、今なおその歌を口ずさみ、周囲に笑顔を届けている。

五月さんの現状について、ひとり娘の千恵さんは慎重に言葉を選びながら語る。「いまの母は自分の思いを言葉で表現するのが難しい状態ですが、自分の歌はしっかりと覚えているんです。特に『おひまなら来てね』と『一週間に十日来い』が大好きで、その曲の昔の映像を流すと、ものすごくうれしそうに手を叩いて涙ぐんで……。その姿を見ると、なんてかわいい人なんだろうと思います」。この心温まる証言は、五月さんと音楽、そして家族との深い絆を示している。

五月みどりさんの現在の姿。85歳で都内の介護施設に入居し、穏やかな日々を送る様子。五月みどりさんの現在の姿。85歳で都内の介護施設に入居し、穏やかな日々を送る様子。

6年間の沈黙を破り、都内施設での新たな生活

五月さんは2019年に放送されたドラマ『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)への出演を最後に、約6年間もの間、表舞台から遠ざかっていた。テレビ番組のみならず、雑誌やラジオへの出演も一切なく、その近況が明かされることはなかったため、一時は重病説まで囁かれるなど、ファンの間で心配が広がっていた。

しかし、今年に入り、五月さんが長年過ごしてきた神奈川県・湯河原の地を離れ、都内の介護施設で家族に見守られながら穏やかな日々を送っていることが明らかになった。娘の千恵さんは、言葉を交わすことが難しくなった母親が、歌を耳にすると涙を流して喜ぶ様子を明かし、その深い愛情と精神的なつながりを強調している。

波瀾万丈の芸能人生:歌手から「妖艶女優」を経て国民的タレントへ

五月みどりさんの芸能人生は、まさに波瀾万丈だった。1958年、19歳で『お座敷ロック』でレコードデビュー。1961年にリリースした『おひまなら来てね』が大ヒットを記録し、翌年の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。その後も歌手として活躍を続けたが、1975年、36歳にして女優として驚きの転身を遂げた。東映ポルノ『かまきり夫人の告白』に出演し、その大胆な演技は世間に大きな反響を呼んだ。

芸能関係者によると、「40代までは妖艶な女優のイメージが強く、男性ファンが多かった五月さんですが、50代になると脱ぐ役は一切やめました。そこからはタレントや女優業において、天然ながら包容力があってかわいらしい印象が強くなり、女性ファンが急増。1997年に始まった人気バラエティー番組『伊東家の食卓』(日本テレビ系)ではおっとりとした母親役を好演し、幅広い層から人気を博しました」。また、40代で更年期障害に悩んだことや、健康のために50歳でお酒をやめたことなどを赤裸々に語り、その等身大の姿も多くの女性から支持される要因となった。

激動のプライベートと晩年の事業活動

芸能界での輝かしいキャリアの陰で、五月さんのプライベートはさらに激動だった。1965年に芸能プロダクション社長の西川幸男氏(故人)と結婚し、娘の千恵さんと元プロゴルファーの哲さんをもうけたが、1971年に離婚。1976年には日本テレビのディレクターだった面高昌義氏(故人)と再婚したが、1984年に2度目の離婚に至った。そして翌年には20歳年下の歌手、立花淳一(66才)と3度目の結婚式を挙げたものの、未入籍のままわずか1年4か月で破局を迎えた。

3度目の破局後、五月さんはマネジャーで所属事務所代表の逸見文泰さんと事実婚状態になった。二人は湯河原にある自宅で暮らし、五月さんの趣味であった花を使った手芸「フローラルクラフト」の教室を開いていたという。2009年には、湯河原にギフトショップ「ヴィーナス」をオープン。「きれい」「かわいい」をモットーに衣服や自身のCDなどを販売するこの店は“五月みどりの店”として大繁盛し、その後、熱海駅前と熱海中央にも店舗を拡大するなど、晩年まで精力的に活動を続けていた。

歌とともに歩む人生の軌跡

長年にわたり日本の芸能界を駆け抜けてきた五月みどりさんは、その波瀾万丈な人生と、常に変わらぬ歌への情熱で多くの人々に影響を与えてきた。公の場から遠ざかり、介護施設での新たな生活を送る今もなお、彼女の心には歌が息づき、娘の千恵さんとの絆を深めている。五月みどりさんの人生は、困難に直面しながらも、歌と家族の支えによって穏やかな日々を見つけることができるという、力強いメッセージを私たちに伝えている。

参考文献