日本を代表する文豪の一人、大佛次郎。彼の作品は広く知られていますが、その知られざる素顔や驚くべき執筆背景については、意外と知られていないかもしれません。特に、彼の豪快な資料収集術は、時に周囲を驚かせるほどでした。今回、文学に人生を捧げてきた文豪のスペシャリストが贈る一冊『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)から、大佛次郎のユニークな一面、特にフランスでの「買物戦闘」とも称される資料収集のエピソードに焦点を当て、その深掘りされた人間像と作品への情熱を探ります。
「歴史小説の巨匠」大佛次郎とは
大佛次郎(おさらぎ・じろう、本名:野尻清彦)は1897年に神奈川県で生まれ、1973年まで活躍した日本の歴史小説家です。幼少期から創作活動に親しみ、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、その堪能な語学力を活かして外務省で翻訳の仕事に携わりました。しかし、彼の名を世に知らしめたのは、生活費を稼ぐために執筆した『鞍馬天狗』でした。大正13年(1924年)に発表されたこの作品は瞬く間に大ヒットし、以後40年近くにわたり連載が続く大人気シリーズとなりました。
大佛次郎は、『鞍馬天狗』のような時代小説だけでなく、『パリ燃ゆ』や『天皇の世紀』といった壮大な歴史小説も数多く手掛け、そのリアリティと深い洞察力で多くの読者を魅了しました。晩年は病床にありながらも執筆を続け、75歳で肝臓がんにより生涯を閉じましたが、その作品群は今なお多くの人々に読み継がれています。
パリで繰り広げられた「買物戦闘」の全貌
大佛次郎の執筆活動を支えたのが、その徹底的かつ豪快な資料収集術でした。特に、昭和に入ってから手掛けたフランス史を題材とした作品群、例えば『パリ燃ゆ』や、それに先行するノンフィクション『ドレフュス事件』、『ブゥランジェ将軍の悲劇』、『パナマ事件』といった作品を執筆する際には、自ら現地に赴き、膨大な資料を集めました。
1961年、彼は『パリ燃ゆ』執筆のため、約2ヶ月間にもわたりパリに滞在します。このパリ滞在中に繰り広げられたのが、彼の著書『買物ぶくろ』の中で「買物戦闘」と称されるほどの、驚くべき資料収集でした。
古本屋倉庫での「奮闘」と噂
大佛次郎は、当時のエッセイに次のように記しています。
「古本屋の倉庫の鍵をあけて貰い、ほこりと鼠の小便臭い中で長い時間奮闘した。買物にやっきになるとは、我ながら異例のことである。古本屋の主人がフランスのコミュヌの本を、皆日本へ持って帰るつもりか、と高い書棚の梯子の上から大げさなお世辞を言ってくれた」
(『買物ぶくろ』は、『大佛次郎エッセイ・セレクション3時代と自分を語る―生きている時間』小学館に収録)
この記述からもわかるように、彼はパリの古本屋の倉庫に籠もり、文字通り「奮闘」して資料を買い集めました。その購入量は尋常ではなく、買い集められた資料は船便で日本に送り返されるほどでした。当時の日本人にとって海外旅行が珍しい時代に、これほど大規模な資料買い付けを行った大佛次郎の行動は、現地の人々の間で「パリコミューン関連の本を、日本人が買い占めた」という噂になるほどだったといいます。このエピソードは、彼の探究心と執念がいかに並外れていたかを物語っています。
歴史小説の巨匠・大佛次郎のポートレート。その独自の資料収集術が語られる。
財力と情熱が織りなす「歴史小説のリアリティ」
大佛次郎が手掛けた長編歴史小説の数々は、その時代の空気感や人物の息遣いまでが伝わるような、圧倒的なリアリティを放っています。このような深い描写が可能となった背景には、彼の探究心に加え、前述の「買物戦闘」に代表されるような、膨大な資料を収集するための「財力」と、それを惜しみなく投入する「情熱」があったと言えるでしょう。
裕福な家庭に育ち、その財力もまた彼の創作活動を支える一因となりました。彼は単なる文献調査に留まらず、自身の目と足で現地を訪れ、文字情報だけでなく、その地の空気や歴史の重みまでをも感じ取ろうとしました。この徹底した姿勢が、彼の歴史小説に唯一無二の深みと信憑性を与え、読者を作品世界へと深く引き込む力となったのです。
大佛次郎の「買物戦闘」エピソードは、単なる奇行ではなく、歴史の真実を追求し、それを読者に最高の形で届けるための、彼なりの究極の専門性と情熱の表れでした。彼の作品が今もなお人々の心を捉えて離さないのは、そうした裏打ちされた「本物」の力が宿っているからに他なりません。
参考文献
- 富岡幸一郎 著『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)