現代社会において、スマートフォンは私たちの生活に不可欠なツールとなりました。しかし、多くの人がSNSやニュースフィードを「無限にスクロール」し続け、意図せず長時間費やしてしまう経験を持つのではないでしょうか。この現象の背景には、私たちの「集中力」を奪い、デジタル依存を誘発する巧妙なデザインが潜んでいます。そして驚くべきことに、この革新的な機能「無限スクロール」を開発した当のプログラマー自身が、その発明が人々の貴重な時間を奪ってしまったことへの深い後悔を口にしています。
この興味深い事実は、ジャーナリストであるヨハン・ハリの著書『奪われた集中力 もう一度“じっくり”考えるための方法』(作品社)で明らかにされています。本稿では、同書の一部を抜粋・再構成し、テクノロジーがもたらす光と影、特に「無限スクロール」が私たちの意識と行動に与える影響について深く掘り下げていきます。エイザ・ラスキンという一人のプログラマーの苦悩を通して、私たちはデジタル時代における「集中力の維持」という喫緊の課題に直面することになるでしょう。
マッキントッシュの哲学と「注意の神聖さ」
エイザ・ラスキンという名前は、一般にはあまり知られていないかもしれません。しかし、彼が開発した機能は、今日私たちがスマートフォンやソーシャルメディアとどのように向き合うかに直接的な影響を与えています。エイザは、まさに「世界をより良くしている」という強い自信に満ちたシリコンバレーのエリート層の中で育ちました。
彼の父親は、Apple社のマッキントッシュを発明したことで知られるジェフ・ラスキンです。ジェフは、ユーザーの「注意」を神聖なものと見なし、その原則に基づいてマッキントッシュを構築しました。彼にとって、テクノロジーの本来の任務は、人々を高みへと引き上げ、より崇高な目標達成を支援することでした。ジェフは息子エイザに、テクノロジーの本質についてこのように教え諭しました。「テクノロジーは何のためにあるんだ? なぜテクノロジーを作るのか? 私たちがテクノロジーを作るのは、私たちのもっとも人間的な部分を取り出して、それを広げるためだ。絵筆も、チェロも、言葉も、私たちの一部を拡張するテクノロジーなのだ。テクノロジーは人間を超人にするものではない。私たちを特別な存在にするものなんだ。」この父の哲学は、テクノロジーが人間の能力を補助し、向上させる道具であるべきだという深い洞察を示しています。
「無限スクロール」誕生の背景と意図
エイザ・ラスキンは、父親譲りの才能を受け継ぎ、早熟なプログラマーとして頭角を現しました。彼はわずか10歳で、ユーザーインターフェイスに関する初めての講演を行うほどでした。20代前半には、初期のインターネットブラウザのデザインに最前線で携わり、特にFirefoxのクリエイティブリーダーとして重要な役割を果たしました。その一環として、彼はウェブの仕組みを根本的に変える画期的な機能を設計しました。それが、今日私たちが当たり前のように利用している「無限スクロール」です。
年配のインターネットユーザーであれば、かつてのウェブサイトがいくつかの「ページ」に分かれていた時代を覚えているかもしれません。あるページの下部に到達すると、次のページに進むためには「次へ」や「もっと読む」といったボタンをクリックする必要がありました。これは能動的な選択であり、一瞬立ち止まり、「これをもっと見続ける必要があるだろうか?」と自問する機会を与えてくれました。エイザが開発したコードは、ユーザーがそのような問いかけをする必要がないように設計されていました。
彼の設計意図は、ユーザーの利便性を高めることでした。より早く、そして効率的に情報にアクセスできることは、常に技術の進歩と見なされてきました。エイザ自身、この発明を当初は非常に誇りに思っていました。「最初は、本当にいい発明に見えたんだ」と彼は述懐しています。彼は自分の開発が、人々の生活をより楽にするものだと心から信じていたのです。彼の発明は瞬く間にインターネット上に広まり、ソーシャルメディアやニュースフィードの標準的な機能となりました。
意図せぬ影響:集中力の奪われる構造
フェイスブックやインスタグラム、X(旧Twitter)といったソーシャルメディアを開いた時のことを想像してみてください。これらのプラットフォームは、最新の投稿や更新された近況の塊を自動的にダウンロードし、画面いっぱいに表示します。指で画面を下にスクロールしていくと、一番下にたどり着くやいなや、別の新しい情報が自動的に読み込まれ、さらにスクロールできるようになります。そしてその次の塊、また次の塊と、際限なくコンテンツが供給され続けるのです。この流れが止まることは決してありません。まさに「無限にスクロール」し続ける体験が提供されます。
この設計は、ユーザーを飽きさせず、常に新しい刺激を与えることで、プラットフォーム上での滞在時間を最大化するように機能します。しかし、この利便性の裏側には、エイザ・ラスキンが当初意図しなかった深刻な問題が潜んでいました。彼自身、「自らの発明で多くの人の時間を奪ってしまった」と公に後悔の念を表明しているのです。ユーザーは意識的に「これ以上見るのをやめよう」と決断する機会を与えられず、無意識のうちにスクロールを続けてしまいます。この行動様式は、現代における「スマホ依存」や「デジタル中毒」の一因となり、結果として人々の「集中力」が奪われ、重要なタコスの生産性や時間管理能力にも悪影響を及ぼしていると指摘されています。テクノロジーは私たちを「特別な存在にする」はずが、皮肉にも無限のスクロールが私たちの注意力を散漫にさせているのです。
スマートフォンを操作する人物、無限スクロールによる時間消費と集中力低下の概念
「無限スクロール」は、情報のアクセスを容易にする一方で、私たちの脳が持つ注意力を際限なく消費させるという、意図せぬ副作用を生み出しました。エイザ・ラスキンの後悔は、テクノロジーがもたらす恩恵と、その倫理的な側面、そして人間の行動への影響について、私たちに深く再考を促すものです。デジタル時代の私たちは、いかにしてこの「無限」の流れの中で、自らの時間と集中力を守り、より意識的なテクノロジーとの付き合い方を築いていくかが問われています。
参考文献
- ヨハン・ハリ著、福井昌子訳『奪われた集中力 もう一度“じっくり”考えるための方法』作品社、2022年。
- Yahoo!ニュース (PRESIDENT Online):無限スクロールの生みの親が後悔…スマホのSNSを「つい見てしまう」のは誰のせいか (2025年8月5日掲載)