近年、シリコンバレーをはじめとする世界中で、古代ギリシャ・ローマの「ストイシズム(ストア哲学)」の教えが爆発的な広がりを見せています。感情に流されず、理性に基づいた生き方を追求するこの哲学は、現代社会の複雑な課題に対処するための強力なツールとして再評価されています。日本においても、その実践的な教えが凝縮されたブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(花塚恵訳)がついに刊行され、大きな注目を集めています。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評するように、本書は自己規律と精神的な強さを育むための指針となる一冊です。本稿では、同書の刊行に寄せられたライター小川晶子氏の寄稿を基に、ストイシズムが提唱する「心の平穏」への道のりを探ります。
「魂を洗う旅」への憧れと現代の現実
多くの人が「本を持って旅に出る」ことに憧れを抱いています。日常の喧騒から離れ、旅館やテントの中でゆったりとページをめくり、深く思索にふける時間。世間のニュースやSNSのトレンド、煩わしい人間関係、仕事の締め切りといった日々の心配事から一切解放され、ただ本を読み、考え、休息することに没頭する。そうした「魂が洗われるような体験」は、現代社会で生きる私たちにとって、まるで理想郷のように映ります。雑誌などで見かける「旅と本」の特集に心を奪われるたび、「いいなぁ」と羨望の眼差しを向けてしまいます。
しかし、現実にはその憧れを実現するのは容易ではありません。子育て中の親であれば、子供たちとの旅行中に本を読む余裕などなく、独身時代も時間や段取りの悪さから、心ゆくまで旅を楽しむ機会は限られていました。こうした個人的な状況は、多くの現代人が抱える共通の課題を浮き彫りにしています。私たちは忙殺される日常の中で、リフレッシュや自己と向き合う時間を外に求めがちですが、その願いがなかなか叶わない現実に直面しているのです。
マルクス・アウレリウスが示す「真のリフレッシュ」
このような「旅への憧れ」に対し、古代ローマ皇帝にしてストア哲学の巨匠であるマルクス・アウレリウスは、『自省録』の中で、現代人に示唆に富む厳しい言葉を投げかけています。
人は田舎や海辺、山に引きこもって静養したいと思うものだ。あなたもそのような欲求を強く抱いている。だがそれは、ごく凡庸であることの表れだ。なにしろ人は、好きなときに自分自身のなかに引きこもることができるのだから。自分の魂のなか以上に、静かに引きこもれる場所や、揉めごとから解放される場所はない。……よって、そういう静養をつねに自分自身に与え、元気を取り戻すといい。(マルクス・アウレリウス『自省録』より)
森の中を思わせる静かな風景。内省や瞑想に適した、心安らぐ自然のイメージ。
この言葉は、私たちをハッとさせます。真の静養や心の平穏は、外部の環境に依存するものではなく、私たち自身の「魂の奥底」にこそ存在するというのです。どこか遠くへ出かけなければ心を休ませることができないという考えは、本質を見誤っているとマルクス・アウレリウスは示唆しています。彼によれば、私たちの内側には、いつでもアクセスできる静寂の場所があり、そここそが最も深いリフレッシュをもたらす源泉なのです。この「自己の内部に潜る」というストア哲学の教えは、ストレス社会を生きる現代人にとって、心の健康を保つための重要な指針となります。
日常に取り入れる「内省の習慣」で心の平穏を
マルクス・アウレリウスの教えに耳を傾ければ、わざわざ遠出をしなくても、日々の生活の中で心を休ませることが可能だと理解できます。家事やスマートフォンの誘惑から離れ、静かに自分と向き合う「内省の習慣」を取り入れることこそ、ストア哲学が現代に提示する具体的な解決策です。ジャーナリング(日記を書くこと)や読書、瞑想など、形は様々でも、意識的に内省の時間を設けることは、どこにいても実践できます。
「旅に行けば魂が洗われるのに」と嘆くだけでなく、「いますぐ」行動に移すことが肝要です。日々の忙しさは、私たちが心の休息を外部に求めすぎ、内省の機会を逃している結果かもしれません。積極的にリフレッシュを習慣化すれば、心身ともに元気を取り戻し、余計な心配事から解放され、生活の慌ただしさも自然と減っていくはずです。このように内面の充実を図ることは、心の健康を向上させるだけでなく、結果として物理的な「旅」も特別なものとしてではなく、自然な形で享受できるようになるでしょう。
ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』は、現代人が心の平穏と自己成長を実現するための具体的な道筋を示してくれます。自身の魂に深く潜り、内省の習慣を取り入れることで、私たちはより充実した毎日を送ることができるようになるはずです。
参考文献
- ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳『STOIC 人生の教科書ストイシズム』ダイヤモンド社
- マルクス・アウレリウス『自省録』