アメリカ政治の舞台裏で、静かなる変化が進行している。これまでリベラル寄りだった男性たちが、民主党から徐々に距離を取り始めているのだ。彼らは極右に転じたわけでも、ネット上で攻撃的な活動をしているわけでもない。教師、テック系ビジネスマン、父親、アーティスト、ごく普通の男性たちが、かつては迷わず民主党に票を投じていたにもかかわらず、今では投票自体を避けたり、あるいは苦渋の選択として共和党に投票したりしている。この背景には、左派の言説における「男らしさ」の扱いへの違和感と、男性にとって不利に働くように見える法制度の台頭がある。
「有害な男らしさ」言説がもたらした変化
かつては攻撃的で有害な男性の行動を批判する概念として生まれた「有害な男らしさ(toxic masculinity)」という言葉は、いつの間にか「男らしさ」そのものを時代遅れで危険なものと見なす文化的批判へと変質した。長年リベラルな価値観に共感してきた多くの男性たちは、今や「男であること自体が問題視されている」と感じ始めている。自信、競争心、リスクを取る姿勢、家族を養いたいという欲求といった、かつては美徳とされた特性が、一部の進歩的な論調では「男性中心主義の遺物」として否定的に語られているのが現状だ。さらに多くのリベラル系男性は、著名なリベラル系女性たちから一括りにされ、不当な扱いを受けていると感じている。「問題は男性だ」といった決めつけは、経済的、精神的、社会的に困難を抱える多くの男性の現実を無視している。こうした状況を前に、彼らの多くは「自分の存在や価値観が歓迎されない政党に、なぜ今も投票しているのか」と問い始めている。
スマートフォンを見つめる男性の後ろ姿。現代社会における男性の葛藤や民主党離反の背景を暗示するイメージ。
男性に不利に働く法制度とキャンセルカルチャーの台頭
こうした変化のもう一つの要因が、法制度や司法を政治的・イデオロギー的な手段として用いる「ロー・フェア」の台頭であり、これが特に男性に対して不公平に機能しているように見える例が増加している点だ。例えば、父親にとって不利に働く家庭裁判所の制度や、事実確認の前に「有罪ありき」で報道される性的暴行の訴えなどが挙げられる。多くのリベラル系男性は、正当な手続きが「社会的な制裁」に置き換えられていると感じ、不安を募らせている。#MeToo運動は、加害者に責任を取らせるという意味で極めて重要かつ遅すぎた是正であり、その必要性を軽視すべきではない。しかし現在、多くの男性が「振り子が振れすぎた」と感じているのもまた事実である。例えば、不器用なデートや不用意な冗談ひとつでキャリアや社会的信用を失うかもしれないという恐れは現実のものであり、冤罪への懸念も根強い。こうした恐怖は、仕事でも私生活でも、男性が女性とどう関わるべきかに大きな影響を与え、皮肉にも男性が女性との関与を避け、採用、指導、自由な会話をためらうようになることで、女性にも悪影響を及ぼしている。さらに「キャンセルカルチャー」が、たった一つのミスや過去の誤解されうる発言によって公然と非難されたり職を失ったりする可能性を高め、この不安に拍車をかけている。結果として、多くの男性は職場や恋愛、社交の場、そして議論そのものから距離を取るようになっている。
リベラルな男性が民主党から離反している現象は、一過性の動きではなく、現代社会における「男らしさ」の扱いや、法制度、そして言論空間の変容が複雑に絡み合って生じている。この動向は、アメリカ政治の将来だけでなく、ジェンダーの役割や公正な社会制度のあり方について、私たちに根本的な問いを投げかけている。
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