「昭和は遠くなりにけり」:懐かしの成田・羽田空港、海外旅行の面影

「昭和は遠くなりにけり」。昭和最後の1989年から36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えました。この度、設立130周年の東洋経済新報社写真部に保管された昭和の貴重な写真がデジタル化。本記事では、その中から「成田と羽田」空港の風景を通じて、当時の海外旅行ブームと時代の面影を紐解きます。

1980年代後半~90年代:海外旅行ブームに沸く成田空港

1978年の開港から約10年が経過した1980年代後半から90年代にかけての成田空港は、まさに海外旅行客の熱気に包まれていました。バブル経済の恩恵に加え、急速な円高が追い風となり、海外旅行者数は飛躍的に増加。1990年には1,000万人を突破し、1995年には1,500万人を超えるなど、空前の海外旅行ブームを迎えました。ターミナル内には、浮かれ気分で旅立つ観光客や、「24時間働けますか?」というCMを彷彿とさせるハードな海外出張に耐えるビジネスマンの姿が交錯していました。

1986年の成田空港出発カウンター、昭和の海外旅行ブームを象徴する賑わい1986年の成田空港出発カウンター、昭和の海外旅行ブームを象徴する賑わい

時代を映す「旅の必需品」スーツケースの変化

空港の風景自体は現代と大きく変わらないように見えても、旅の必需品であるスーツケースには明確な時代の隔たりを感じます。現在の「キャリーケース」とは一線を画す、当時のデザインは、昭和レトロな雰囲気を色濃く残しています。その素材や形状からは、かつての旅行スタイルや旅への思いが伝わってくるようです。

昭和の定番土産:免税店の「ジョニ赤」「ジョニ黒」

免税店のショッピングバッグに見られる「ジョニー・ウォーカー」や「LARK」といったブランドロゴも、今や懐かしさを誘います。昭和の海外旅行土産の代表格といえば、スコッチウイスキーの「ジョニー・ウォーカー」でした。赤いラベルの「ジョニ赤」と、熟成年数が長く高価な黒いラベルの「ジョニ黒」があり、「ジョニ黒」が特に喜ばれたものです。これらの銘柄は、当時の海外旅行が単なる移動ではなく、ステータスや特別な体験であったことを物語っています。

東洋経済新報社の貴重な写真が映し出す、昭和の成田・羽田空港。そこには、空前の海外旅行ブームに沸き、新たな時代へと向かう日本の活気と人々の表情がありました。スーツケースのデザインや定番土産からも、当時の社会や文化が色濃く感じられます。「昭和は遠くなりにけり」と改めて感じる一方で、これらの写真が現代に伝えるメッセージは深く、見る者に多くの示唆を与えてくれます。

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