1年以上にわたり兵庫県政に混乱と分断をもたらしている「文書問題」。この事態が「メディアの敗北」とまで言われるのはなぜか。かつてNHK神戸放送局で報道責任者を務めていた小林和樹氏が、表面的な報道からはうかがい知れないメディアの内幕や兵庫県の動きを詳細に記録しています。長期連載「兵庫“メディアの敗北”の真相」として、本稿では百条委員会設置を巡る当時の副知事による裏工作が、いかにして県議会の強い反発を招いたのか、そして「県議会とメディアが結託した謀略」があったのかどうかを検証します。
片山副知事による「百条委設置取り下げ」の裏工作
自民党県議団が百条委員会の設置を決めたわずか3日後、20XX年6月7日、当時の片山安孝副知事が自民党の藤本百男県議のもとを訪れました。藤本県議は過去に県議会議長を務めた経験があり、斎藤知事が初当選した際の知事選では対立候補の金澤和夫氏を支援していた人物です。片山副知事はこの藤本県議に対し、「辞職を考えていますので、百条委員会の設置を考え直してほしい」と打診したとされています。
片山副知事によるこうした“お願い”は、その後も自民党の複数の県議に対して行われました。この行動の真の狙いは、百条委員会設置議案の提出自体を阻止することではなく、採決の際に自民党県議団に党議拘束をかけさせないようにすることだったとも言われています。もし党議拘束がなければ、斎藤知事を支持する県議らが反対票を投じることで、過半数に届かず議案が否決される可能性があったからです。
片山安孝元兵庫県副知事が県議会で発言する様子。兵庫県「文書問題」における百条委員会設置を巡る裏工作が報じられた。
しかし、いずれにせよ、この片山副知事の提案は自民党県議団が受け入れられるものではありませんでした。県議団の総会では、再度の分裂を回避し、県議団として一致団結するための激しい議論が行われ、中には涙を流す議員もいたほどです。その末に下された決定であったため、覆すことは不可能でした。「片山副知事が辞意を表明している」という話は瞬く間に広まりましたが、これを聞いた自民党県議の一人は、「もう遅すぎる。一連の問題の責任を取るために百条委員会設置を取り下げてほしいと言うのなら、もっと前に動くべきだった」と漏らしました。
「スタンドプレー」と見なされた副知事の行動が招いた反発
片山副知事のこの動きは、百条委員会設置の阻止どころか、激しい反発を招く結果となりました。自民党県連の幹部からは、「副知事辞任と百条委員会の議案提出は全く関係がなく、むしろ逆効果になる可能性があるということが理解できなかったのか。県議団はまとまって動くものだ。副知事は自分の影響力を過大評価していたのだろう。まるで自分の首を差し出せば事態が変わるような大物副知事だと勘違いしていたのではないか」といった不快感を露わにするコメントが聞かれました。
結局、片山副知事の一連の行動は、事態を好転させるどころか、かえって県議会の不信感を深め、問題をさらに複雑化させる要因となったのです。
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