1985年に日本航空ジャンボ機が墜落した群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」は、日航機墜落事故の記憶が深く刻まれた場所です。そこへ今もなお、多くの遺族が足を運び続けています。大阪府豊中市に住む小沢紀美さん(69)もその一人。当時29歳だった夫・孝之さんを事故で亡くした小沢さんは、身重の体で悲劇に直面しました。時を経て、その息子が結婚し、3歳の孫娘が生まれ、昨年は初めて三世代で御巣鷹の尾根を登頂。小沢さんの深い思いは、38年の歳月を超えて語り継がれています。
日航機墜落事故で夫・孝之さんを失い、38年を経て今もなお深い悲しみを抱えながらも、強く生きる小沢紀美さんの現在の姿。
夫の会社から突然の電話「テレビは見ておられますか?」
事故当時、小沢さんは長男の秀明さん(39)を妊娠中でした。夫の孝之さんは仕事の都合で、月に一度大阪から東京へ日帰り出張するのが恒例で、1985年8月12日も出張からの帰りの飛行機に搭乗し、その途中で事故に遭いました。
つわりで体調を崩しがちだった小沢さんを、孝之さんはいつも心配し、あの日の朝も「何もしないで家にいたらいい」と気遣う言葉を残して家を出ました。その夜、夕食を作り夫の帰りを待っていると、突然夫の会社から電話がかかってきました。「小沢さん、帰ってらっしゃいますか?」「テレビは見ておられますか?」その言葉に、小沢さんは事故のニュースをテレビで見たものの、何が起きているのか理解できず、ただキッチンを右往左往するばかりでした。
事故直後、身重の体であったため現地へ向かうことができず、代わりに他の家族が群馬県の事故現場へ。当初は「生きて戻ってきてくれるはず」と信じる気持ちがありましたが、連日報道される絶望的な現場の様子に、日が経つごとにその希望は小さくなっていきました。夫の遺体の身元確認ができたのは、事故から10日以上も経ってからでした。夫の母親からその連絡を受けた時、「やっと帰ってきてくれた」という安堵感もありましたが、夫の死という現実をすぐには受け止めきれませんでした。葬儀後も、「どうして死んでしまったの?」と、心の中で夫に問い続ける日々が続きました。
結婚して1年10か月、手料理を「うまいな」と食べる姿が大好き
孝之さんと紀美さんは、1983年10月に友人の紹介で出会い、1年間の交際を経て結婚しました。短いながらも幸せな日々を送った結婚生活は、わずか1年10か月で突然の悲劇により幕を閉じました。
事故の少し前に妊娠が分かり、夫にそのことを伝えた時には、孝之さんはすぐに友人に電話をかけて報告するほど喜びを露わにしていました。手料理を「うまいな」と美味しそうに食べる夫の姿が、小沢さんにとって一番好きな光景だったと振り返ります。
日航機墜落事故で夫を亡くした小沢紀美さんと、在りし日の夫孝之さん。幸せだった結婚初期を偲ぶ一枚。
悲劇を乗り越え、御巣鷹の尾根が繋ぐ命の記憶
日本航空機墜落事故から38年が経過しましたが、小沢紀美さんの心に刻まれた夫への思い、そして深い悲しみは決して色あせることはありません。しかし、身重の体で直面した悲劇を乗り越え、生まれた息子・秀明さんの成長、そして孫娘の誕生という新たな命の輝きが、小沢さんに生きる力を与え続けています。御巣鷹の尾根を孫娘と共に登ったという事実は、失われた命の記憶が世代を超えて確かに受け継がれ、未来へと繋がっていくという、力強いメッセージを私たちに伝えています。この悲劇を忘れず、安全への意識を次世代へと継承していくことこそが、亡くなった方々への最大の追悼となるでしょう。
参照元:
Yahoo!ニュース: 日航機墜落事故から38年 御巣鷹の尾根へ3歳の孫娘と初めて「やっと帰ってきてくれた」(読売新聞オンライン)





