「カチョ・エ・ペペ」レシピ騒動:英料理サイトとイタリアの食文化衝突

イギリスの人気料理サイト「Good Food」が掲載した、イタリア・ローマの伝統料理「パスタ・カチョ・エ・ペペ」のレシピを巡り、イタリアで激しい論争が巻き起こっています。伝統的なイタリア料理の根幹を揺るがしかねない不正確な材料の記載や、料理を手軽なものと軽んじる表現があったことが、多くのイタリア人の怒りを買っています。この一件は、単なる料理レシピの誤りを超え、イタリアの食文化とアイデンティティに関する深い問題として注目されています。

「伝統」を巡る対立の火種

問題となった「Good Food」の「カチョ・エ・ペペ」レシピでは、材料としてスパゲッティ、黒こしょう、パルメザンチーズ、バターの4つが挙げられ、さらにオプションとして生クリームを加えることも推奨されていました。しかし、本来の伝統的な「カチョ・エ・ペペ」に使用される材料は、スパゲッティ、黒こしょう、そしてペコリーノチーズのわずか3つのみとされています。この相違点が、イタリアの人々にとって看過できない点でした。

加えて、「Good Food」がこの料理を「手早く作れるランチ」と紹介したことも、多くのイタリア人の反感を買いました。伝統的なイタリア料理は単なる手軽な食事ではなく、歴史や文化、職人の技が凝縮されたものと認識されているため、このような表現は、その価値を軽視するものと捉えられたのです。

飲食業界団体と英国大使館への申し立て

この「カチョ・エ・ペペ」レシピ騒動に対するイタリア国内の反発は非常に大きく、最終的にイタリアの飲食業界団体が行動を起こす事態へと発展しました。飲食業界団体「フィエペト・コンフェセルチェンティ」は、英国の著名な料理サイトにこのようなレシピが掲載されたことに「驚き」と「遺憾の意」を表明しました。

同団体のクラウディオ・ピカ会長は、サイトを運営するイミディエイト・メディア、さらには英国のエドワード・ルウェリン駐イタリア大使宛に公式な書簡を送付し、問題のレシピに対する抗議と、イタリア料理の伝統への敬意を求めました。これは、単なるインターネット上の議論ではなく、国家間の文化的な問題として提起されたことを示しています。

Good Food側の釈明とイタリアの反応

「Good Food」側は、この問題に対し声明を発表しました。「フィエペト・コンフェセルチェンティ」に連絡を取り、「私たちのレシピは、イギリスで簡単に手に入る材料を使用し、家庭で手軽に調理できるように調整されている」と説明しました。さらに、ローマの飲食店団体が「本格的なイタリア版のレシピを提供してくれれば、提供元を明記した上でサイトに掲載したい」との意向も示しました。これは、問題解決に向けた建設的な姿勢と見ることができます。

しかし、イタリアのメディアはこの騒動を広く報じ、国内では引き続き強い批判の声が上がっています。公共放送局RAIの記者は、「私たちはいつだって、BBCに比べて優秀ではないと言われる。それなのに、彼らがこんなことをするとは。ひどいミスだ。クリームを加えるという提案には、鳥肌が立った」と述べ、英国メディアへの皮肉を交えながら、クリーム使用への強い嫌悪感を露わにしました。この反応は、イタリア人にとっての食の規範意識の強さを物語っています。

「伝統の改ざん」への深い怒り

「Good Food」は、かつてBBCの商業部門であるBBCスタジオが所有していましたが、2018年にイミディエイト・メディアに売却され、昨年からはブランド名から「BBC」の名前が外されています。「Good Food」は自社のインスタグラムで、今回のレシピが「国際問題」を起こしてしまったと自嘲的に投稿し、編集長が私物を持ってオフィスを出る様子の動画も公開するなど、ユーモアを交えながらも事態の深刻さを受け止めている様子がうかがえます。

「カチョ・エ・ペペ」の作り方に独自の工夫を加えるシェフは確かに存在します。しかし、今回の「Good Food」のレシピが問題視されたのは、それが「本来の作り方」であると主張することで読者に誤解を与え、伝統的なレシピの定義を曖昧にする恐れがあったためです。イタリアの人々は、外国人がイタリア料理の作り方を独自に解釈する様子をしばしばからかいますが、今回の件はそれを超え、「伝統の改ざん」という認識から深い怒りを引き起こしました。

伝統的な「カチョ・エ・ペペ」:イタリアの食文化を象徴するシンプルなパスタ伝統的な「カチョ・エ・ペペ」:イタリアの食文化を象徴するシンプルなパスタ

イタリア人識者の声

ローマ中心部で4代にわたりホテルを運営してきたマウリツィオさんとロレダーナさんは、この問題について強く語りました。マウリツィオさんは「ありとあらゆるアレンジをしても構わない。でもそれを、本来のイタリア料理の名前で呼んではだめだ」と強調し、「バターやオイル、クリームを加えた時点で、それがカチョ・エ・ペペだとは言えない。それはもはや別の料理になる」と断言しました。

サン・ピエトロ広場近くで生パスタ専門店を営むジョルジョ・エラモさんも、伝統的なパスタ料理を提供する立場から意見を述べました。エラモさんは「ひどい話だ。あれはカチョ・エ・ペペではない。Good Foodが載せたバターとパルメザンチーズ入りのレシピは『パスタ・アルフレード』と呼ばれるもので、別の種類のパスタだ」と指摘。一方で、自身の店で提供している「ライムを加えたカチョ・エ・ペペ」のアレンジメニューについては問題ないと言います。「これは夏向けのアレンジで、パスタをよりさっぱりと仕上げるためのものだ。伝統を損なっていない。クリームやバターとは違う。ライムはほんの少しの工夫にすぎない」と、伝統を尊重した上での創造性を擁護しました。

ヴァチカン市国の近くでサンドイッチ店を営むニコラさんは、特にクリームの使用を厳しく批判しています。ニコラさんは、「カチョ・エ・ペペにクリームを使ってはいけない。クリームはデザートのためのものだ。お願いだからやめてほしい。クリームを使う人は、料理の意味を理解していない」と訴え、イタリア料理における材料の選択の厳格さを強調しました。

イタリア料理と文化のアイデンティティ

イタリアでは、外国人がイタリア料理のレシピを改変することに対し、多くの人々が怒りを覚える傾向にあります。パイナップル入りのピザ、午後以降に飲むカプチーノ、クリーム入りのカルボナーラなどが、その代表的な例として挙げられます。これらの改変は、単なる好みの問題ではなく、イタリア人にとっての食文化、そして国民的アイデンティティの侵害と捉えられることが少なくありません。

ローマ中心部のカフェで働くエレオノーラさんは、今回の件について、イタリア人がそこまで怒る必要はないかもしれないとしながらも、その感情を理解できると話しました。「私たちの伝統は食に根ざしている。だから、私たちのものでただ一つ世界中で知られているものに手を加えられると、少し悲しくなることもある」と彼女は語り、食がイタリア文化の中核をなす存在であることを示唆しました。

今回の「カチョ・エ・ペペ」レシピ騒動は、異なる文化圏における食の解釈の違い、そしてそれがいかに繊細な問題になり得るかを浮き彫りにしました。BBCは、「Good Food」の現所有者であるイミディエイト・メディアに対し、この件についてのコメントを求めています。

参照

  • BBC News (英語記事): “Cacio e pepe: Good Food pasta recipe sparks fury in Italy”
  • Yahoo!ニュース: 本記事の引用元記事