202X年7月18日から公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は、公開からわずか17日間で動員数1255万人、興行収入176億円を突破し、日本映画史に残る空前の大ブームを巻き起こしています。一部の映画館では1日40回もの上映が行われるなど、その人気はもはや『ドラえもん』や『サザエさん』に匹敵する国民的アニメとしての地位を確立しました。作画、ストーリー、主題歌など、あらゆる面で高い評価を得ているこの作品ですが、これほどの社会現象にもかかわらず、まだ未視聴の人が少なくないのはなぜでしょうか。もちろん、作品の視聴は個人の自由であり、趣味嗜好は多岐にわたります。しかし、これほどまでに国民的な話題となっているにもかかわらず、「無関心」という選択をする背景には、何らかの理由が存在すると考えられます。本稿では、『鬼滅の刃』に興味を示さない人々の特徴と、その心理について考察します。
劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のメインビジュアル。社会現象を巻き起こす人気アニメ映画
「流行に乗るのはダサい」という逆張り思考
時代を問わず、「流行に流されることは格好悪い」と考える人々は存在します。『鬼滅の刃』の大ブームに乗らないことこそクールだと感じる人も少なくありません。こうした人々は、作品に熱中する層を「メディアに踊らされている」「浅はかだ」と見なし、自身を「深く、独自の価値観を持つ人間」と捉えることで優越感に浸る傾向があります。「観ない」という選択自体が、彼らにとって一種の自己ブランディングとなっているのです。
かつては、オリコンチャート上位のアーティストを軽視し、洋楽やインディーズバンドを好む層が一定数存在しました。しかし、近年はコンテンツが過剰供給される時代となり、国民全体が熱狂するような作品やアーティストは減少傾向にあります。そのような中で、「鬼滅の刃」だけが例外的に広範な人気を獲得し、多くの人々が「見ない」という逆張り行動を示すという現状は、改めてこの作品が真に国民的な人気を掴んでいる証拠であるとも言えるでしょう。
「アニメは子供向け」という固定観念からの脱却
「アニメは子どもが観るものだ」という古い固定観念に縛られ、『鬼滅の刃』を敬遠している層も存在します。彼らはアニメと聞くと『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』のような作品を連想し、大人が熱中することに違和感を覚えるのかもしれません。また、アニメ文化を「オタク文化」と安易に結びつけ、反射的に「アニメ=気持ち悪い」というレッテルを貼ってしまうケースも見受けられます。
しかし、現代においてアニメは日本の重要な基幹産業の一つです。コンビニやスーパーでは企業とアニメがコラボレーションした商品が日常的に並び、街中ではアニメ関連の広告を目にしない方が難しいほどです。動画サブスクリプションサービスの普及により、かつての「健全な昼アニメ」と「深夜アニメ」の境界線は曖昧になり、アニメは私たちの生活に深く根差した身近なコンテンツとなりました。このような変化の中で、アニメに対する認識が古いままでは、まさに時代の潮流から取り残されてしまう可能性も否めません。
結論
『鬼滅の刃』という一大社会現象に対し「無関心」を示す人々には、「流行に対する反発心」や「アニメへの古い固定観念」といった心理的要因が背景にあることが考察されます。これらの要因は、個人の価値観や時代の変化への適応度を映し出す鏡とも言えるでしょう。コンテンツが多様化し、価値観が細分化する現代社会において、何を選択し、何に興味を示すかは個人の自由ですが、その選択の裏には常に様々な社会心理が働いているのです。
参考文献
- Yahoo!ニュース: 『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』関連報道