真夏の太陽が照りつける阪神甲子園球場。白球を追いかける高校球児たちのひたむきな姿、アルプススタンドの大歓声、そして試合後に流れる涙──。テレビや新聞がこぞって伝えるその光景は、多くの野球ファンの心を打ち、日本の夏の風物詩として深く根付いてきました。しかし、この感動的な「物語」を紡ぐメディアの最前線では、一体何が起きているのでしょうか。今回、長年甲子園取材に携わってきた元記者たちが、その知られざる「現実」を語ります。彼らは、輝かしい聖地の裏側で繰り広げられるメディアの狂騒と、時に選手たちの体験が「消費」されていく実態を明かしました。
夏の甲子園、真夏の太陽が照りつける阪神甲子園球場の全景。高校野球の「聖地」としての輝かしいイメージを表す。
輝く聖地の裏側:メディアが求める「物語」の狂騒
かつて甲子園取材の最前線にいた5人の元記者が集まり、それぞれ異なる立場から見た「もう一つの甲子園」について座談会を開催しました。彼らが語ったのは、世にあふれる感動的なイメージとはかけ離れた、メディアの厳しい現実でした。
元スポーツ紙記者のB氏は、自身の甲子園取材が「選手の体験をひたすら『消費』する『作業』だった」と振り返ります。彼がキャップ(デスク)から求められたのは、決まって家族の死、友情、病気を乗り越えたといった「美談」のエピソード。それらを短時間で集めるため、選手のパーソナルな領域にまで土足で踏み込んでいくことに罪悪感を感じていたと明かしました。「紙面を埋めるために必死でしたが、今思うと、彼らの体験を食い物にしていただけではないか」。
元新聞社記者のE氏もまた、本社の編集部から「こんなネタがあったら共有しろ」という項目が書かれたシートが配られたと証言します。そこには地震や豪雨など自然災害に見舞われた選手や学校、身内に不幸があった選手などの項目が並んでいたといいます。開幕前はまだしも、担当校が勝ち進むと本当にネタが尽きてしまい、「ベスト4まで行ったときは、『まじで勘弁して』と思っていました。勝つたびに、次は何を書けばいいんだと頭を抱えていた」と、当時の精神的なプレッシャーを語りました。
青空の下、野球場で練習する高校球児たちの後ろ姿。甲子園の華やかな舞台の裏側にある「現実」を象徴する。
同じく元新聞社記者のD氏は、「いい話を書け」という上司からの異常なプレッシャーに精神的に追い詰められたと述べます。時間がない中で、どうしても「天国で見守るおじいちゃんのために打ててよかった」といった型にはまった記事になりがちだったと語ります。「本人がそこまで深く考えていなくても、物語になるように“盛って”書いてしまう。罪悪感は常にありました」。
元テレビ局記者のA氏も、テレビ業界の同様の状況を明かします。特に30分の特番を組むとなると、「3分ルール」が重くのしかかるというのです。主催局以外のテレビ局が、試合後のインタビューを含めて甲子園の映像を使えるのはたったの3分。これではドラマチックな物語を作ることは非常に困難です。結果として、学校に選手を集めてトーク形式にしたり、球場外のイメージ映像で尺を稼ぐしかないのが現状でした。「高校生の大会をここまでビジネスにするのか、という疑問は常に抱いていました」と、甲子園が持つ商業的な側面に対する複雑な思いを語りました。
まとめ:メディアリテラシーが問われる時代
今回の元記者たちの証言は、夏の風物詩として多くの人々に感動を与えてきた甲子園の裏側で、メディアが直面している課題と、時に過剰な「物語性」を求める現実を浮き彫りにしました。高校球児たちの純粋な努力や情熱は紛れもない事実ですが、それを報じる側の論理やビジネスが、彼らの体験を「消費」する形で表れることがあるのです。視聴者や読者としては、メディアが伝える情報に対し、多角的な視点からその背景を読み解く「メディアリテラシー」がますます重要になっていると言えるでしょう。
参考資料
- 弁護士ドットコムニュース: 「部員による暴力が発覚した広陵高校が出した文書」
https://www.bengo4.com/c_23/n_19204/images/ - Yahoo!ニュース: 「夏の甲子園、『感動ポルノ』の裏側 元記者が語る『美談探し』の狂気『選手を食い物にしていた』」(2025年8月10日公開)
https://news.yahoo.co.jp/articles/474a8a7e2d6318c5b09956dd6e5609e8e7f82bb5