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〈草に埋もれたホーム、立ち入り禁止のトンネル、築90年超の木造駅舎…長野の里山から13年前に消えた「屋代線」廃線跡には何があるのか?〉 から続く
【写真多数】江戸時代さながらの町並みも…“幻の大本営”が建設された町「松代」を写真で一気に見る
長野県は善光寺平。千曲川が流れ、かつて武田信玄と上杉謙信が何度もぶつかった川中島の古戦場。そんな広大な盆地の端っこの山の麓に、1本の坑道がある。
外は35℃を上回る酷暑というのに、坑道に一歩入ればちょっと寒いくらいにひんやりとした空気が身を包む。モルタルか何かで舗装されているから不整地ではないものの、デコボコしていて歩きにくい。
小さな明かりが天井から吊るされているだけだから、よくよく注意していないとよろめいてしまう。
その中を、途中で2回角を曲がりながら進んでゆく。途中には、入ることはできないけれどあちこちに分かれ道。石が転がっているようなところもあれば、トロッコか何かの轍が残っているところもある。
なんでも、実に総延長にして5800m以上の坑道がこの山の中に掘られているのだという。
松代大本営象山地下壕。太平洋戦争の最末期、来るべき本土決戦に備えて軍部や政府の中枢機能を移転すべく建設されたものだ。
なぜ“幻の大本営”がここに?
松代大本営の造成計画の胎動は、戦況がいよいよ後戻りできない段階に来ていた1944年の初め頃。陸軍の井田正孝少佐が発案した。
当初は八王子や甲府といった比較的東京の近くで検討されていたが、サイパン陥落で日本本土の大部分が空襲の射程に入ると事情が変わる。より東京から遠い内陸部で、かつ大規模な施設を建設できる場所が求められた。
そうして白羽の矢が立ったのが長野・松代であった。
開戦後、長野には軍需工場などが移転・設立されており、集団疎開などもあって労働力が比較的潤沢だった。そして何より、空爆にさらされても破壊されない強固な岩盤に覆われた山があった。
松代の象山を視察した井田少佐は、「天与の場所」と言ったという。信州が「神州」に通じるとか、そういう理由もあったようだがさすがに後付けだろう。
ともあれ、こうして長野・松代に大本営の造成が決定し、1944年11月11日から本格的な工事がはじまった。
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