第二次世界大戦下、イギリスに秘められた「スパイ日本語学校」の真実:天才たちの挑戦

古いブリキの缶に大切にしまわれた手作りの漢字カード。一文字一文字が正確な筆致で書かれ、表には漢字、裏には英語での読み方と意味が記されています。これらは、第二次世界大戦中に日本語の習得を目指した一人のイギリス人、フィリップ・ベニス氏が自ら作成したものです。ケンブリッジ大学で言語学を専攻していたベニス氏は、1944年、イギリス海軍に招集されます。彼の任務は、戦闘ではなく、敵国日本の言語を速やかに習得することでした。

1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦は、1941年12月の日本の参戦により、戦火をアジア・太平洋地域にも拡大させました。しかし、日本の参戦はイギリスに予期せぬ大きな問題をもたらします。日本軍の通信傍受や情報解析のためには日本語を理解する人員が不可欠でしたが、戦前のイギリスで日本語を話せる者はわずか数百人程度に過ぎませんでした。この人員不足に直面した軍部は、急遽、日本語習得のための学校を設置することを決定します。ロンドンから約80キロ離れたベッドフォードには、かつて日本語学校の校舎として使われた住宅が今も残されています。

手作りの漢字学習カードと、言語習得に尽力したフィリップ・ベニス氏の遺品手作りの漢字学習カードと、言語習得に尽力したフィリップ・ベニス氏の遺品

ベッドフォード「スパイ・スクール」に集った言語の天才たち

1942年2月、イギリス軍特別諜報学校付属の日本語学校がベッドフォードで開校しました。市内のホテルや住宅など、少なくとも5カ所が教室として活用され、現在も残る建物には「ジャパニーズ・スパイ・スクール」の文字が刻まれた史跡案内板が掲げられています。この「スパイ・スクール」に集められたのは、ラテン語や古代ギリシャ語などを学ぶ言語学専攻の学生たちでした。特に優秀な学生が教授の推薦によって選抜され、フィリップ・ベニス氏もその一人でした。

トーマス・チーサム博士は当時の選抜基準について、「学生たちの素早い上達の理由は、彼らを非常に慎重に選び抜いたからです。オックスフォード大学やケンブリッジ大学から、すでに高い言語能力を持つ人材を選びました」と語っています。この学校の目的は、日本の暗号や通信を解読できる専門人材の養成でした。そのため、会話などの授業は一切行われず、ひたすら文字を理解することに特化した訓練が実施されました。

わずか6カ月という短期間で、学生たちはまず基本的な1200単語を習得し、その後、大本営発表や外交通信といった実際の文書の翻訳を繰り返し、実践的なスキルを磨きました。この集中的な学習プロセスの中で、学生たちが自作したのが、冒頭で紹介された漢字のフラッシュカードだったのです。

イギリスの「スパイ日本語学校」で選抜を担ったトーマス・チーサム博士イギリスの「スパイ日本語学校」で選抜を担ったトーマス・チーサム博士

戦争が育んだ知られざる言語戦士たち

第二次世界大戦中、イギリスが直面した日本語能力の危機を乗り越えるため、ベッドフォードに秘密裏に設立された「スパイ日本語学校」。この場所で、フィリップ・ベニス氏のような「言語の天才」たちが集められ、わずか半年の間に日本の軍事通信を解読するための高度な日本語能力を身につけました。彼らの地道な努力と、特に自作の漢字カードに代表される工夫は、戦時下の情報戦において不可欠な役割を果たし、歴史の知られざる一頁を刻んでいます。言語が持つ力と、それが国際情勢の中でいかに重要な意味を持つかを改めて示唆する事例と言えるでしょう。

参考資料