ペットが病気になった際、動物病院の獣医師は身近な存在です。しかし、動物の病気や死の謎を解き明かす「獣医病理医」という専門職はご存知でしょうか。彼らは、動物たちの命の終わりから新たな知見を引き出す、まさに裏方のスペシャリストです。この記事では、獣医病理医の中村進一氏が水族館のバンドウイルカの謎の死に立ち向かった印象的なエピソードを通じ、その重要な役割と挑戦に迫ります。
水族館バックヤードでの緊迫した病理解剖
水族館のバックヤードに設けられた解剖室では、一通りの病理解剖作業が終わり、重い空気が漂っていました。若い飼育員たちは深く息を吐き、他の参加者たちも、直前までの緊張が残る面持ちで器具の片付けや床の清掃を行っています。この日、中村氏が病理解剖を行ったのは、水族館で飼育されていたオスのバンドウイルカでした。体長およそ3メートル、体重250キロ、推定年齢25歳。日本の水族館で最も多く見られるこのイルカは、長く伸びた上下の顎が特徴です。バンドウイルカの正確な寿命は不明な点も多いですが、この個体はそれなりの高齢と推測されていました。
謎を深めるイルカの死の経緯
飼育員たちの証言によれば、このバンドウイルカは2週間ほど前から食欲不振に陥り、体重が徐々に減少していったといいます。血液検査では白血球の異常な増加が確認されたため、何らかの感染症を強く疑い、抗菌薬の投与などの治療が試みられていました。しかし、治療は期待通りの効果を示さず、イルカの泳ぎは次第に緩慢に。状況が悪化する中、プールから引き上げて改めて詳細な検査と処置を施そうとしたその時、飼育員たちの目の前で息を引き取ってしまったのです。原因が分からないまま大切な命を失ったという無念さから、飼育員たちは獣医病理医である中村氏に、その死因究明のための病理解剖を依頼しました。
バンドウイルカが泳ぐ様子。水族館で飼育されるイルカの健康管理には獣医病理医の存在が重要である。
専門家が挑む難題:豊富な経験と飼育員たちの思い
中村氏はこれまでに、イルカの病理解剖を15~16体、組織の病理検査だけでも60体ほど経験しているベテランです。成体のバンドウイルカのように200キロを超える大型動物の場合、遺体の移動が困難なため、中村氏が水族館のバックヤードなどに出向いて行う「出張解剖」が一般的です。今回の解剖には、亡くなったイルカの世話を担当していた飼育員3名と獣医師1名のチーム全員が、その強い希望により参加しました。中村氏は、解剖の手順や手技、病変観察の要点などを彼らに丁寧にレクチャーしながら作業を進めました。彼らの熱意は、イルカの死因を解明し、今後の飼育環境や医療の改善に繋げたいという強い思いの表れでした。
今回のバンドウイルカの事例は、獣医病理医の専門知識と献身がいかに重要であるかを浮き彫りにします。動物の命の謎を解き明かし、未来の医療や飼育環境の改善に貢献する彼らの地道な努力は、多くの動物たちの命を支える基盤となっています。中村進一氏のような専門家たちの挑戦は、これからも続いていくでしょう。