NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第31回「我が名は天」は、視聴者に深い衝撃を与えました。この回では、10代将軍・徳川家治(眞島秀和)の「大きな死」と、市井に生きるふく(小野花梨)とその幼い息子・とよ坊の「小さな死」という、二つの対照的な終焉が描かれました。それは、主人公である蔦重(横浜流星)にとって、国を動かす「良心」の喪失であり、同時に権力者と市井の人々を結びつける「声」の消失をも意味するものでした。この悲劇を通じて、当時の社会が抱えていた厳しさと、人々の善意が皮肉にも招く不条理な現実が浮き彫りになり、現代にも通じる普遍的な問いを投げかけています。
飢饉と水害が招いた悲劇の連鎖
当時の日本は、度重なる自然災害に見舞われていました。飢饉、浅間山の噴火、そして記録的な大雨による利根川の決壊といった水害が、市民の生活を極限まで追い詰めていました。そんな過酷な状況下で、ふくの命を奪ったのは、追い詰められた流民の男でした。しかも、その悲劇の引き金となったのが、蔦重がふくたちに密かに差し入れた米であったことは、あまりにも皮肉で、見る者の心を締め付けます。蔦重が渡した僅かな米は、近隣に配るほどの余裕はなく、「お口巾着で」と口止めされたものでした。しかし、それは何よりも、とよ坊の命綱となるふくの乳が出続けるようにとの切実な願いが込められたものでした。
命を削る「慈悲」と社会の歪み
実際に、当時の食糧難にあえぎ、乳が出なくなった母親は多く、ふくのもとには我が子に乳をあげてほしいと願う女性たちが次々と集まってきました。「困ったときはお互いさま」という思いから、ふくは蔦重からもらった善意を、今度は自分を通じて周囲に還元しようと、何人もの赤ん坊に自分の乳を与え続けました。母乳は血液から作られ、授乳は1日に約700キロカロリー、10kmマラソンに匹敵するほどのエネルギーを消耗するとも言われています。とよ坊だけでもその体力を要する中、複数の赤ん坊に乳を与え続ける行為が、どれほど自身の命を削るものだったか。それでもふくは、「人に身を差し出すのは慣れているから」と、その慈悲深い行為を止めませんでした。
きっと、吉原で「うつせみ」として心身をすり減らしていた日々とは異なり、新之助(井之脇海)との揺るぎない愛に支えられ、その結晶であるとよ坊の存在が、どんなに厳しい暮らしであっても耐えうるだけの希望を与えていたのでしょう。貧しくとも慎ましやかな幸せをようやく手にしたと、ふく自身も、そしてふくの人生を見つめてきた私たち視聴者も、誰もがそう思っていたはずです。吉原から足抜けし、見知らぬ土地で懸命に生きてきた二人がどれほどの苦労を乗り越えてきたかを思えば、家族三人の慎ましい暮らしは、まさに「やっと報われた」日常に見えました。だからこそ、これからもっと幸せになれると信じていた矢先に、理不尽に命を奪われた現実に、胸が押しつぶされるような痛みが伴います。
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第31回「我が名は天」で、悲劇的な現実に直面し、苦悩する蔦重(横浜流星)の表情。
善意が裏目に出る皮肉:怒りの矛先を失った新之助
蔦重が米を差し入れたのも、ふくが乳を差し出したのも、自分なりに周囲と「助け合って生きたい」という純粋な善意からでした。しかし、その乳を分け与えられた母親の一人が漏らした「あの家には米があるんじゃないか」という言葉が、皮肉にも悲劇的な事件のきっかけとなってしまいます。そのやるせなさ、理不尽さは言葉では言い表せません。さらに、ふくととよ坊の命を奪った男もまた、幼い子を抱える父親だったという事実が、この悲劇を一層複雑にしています。「もし蔦重の差し入れがなければ、自分だって同じことをしていたかもしれない」という想像は、新之助を深く苦しめます。「この者は俺ではないか。俺は、俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ」と、怒りの矛先すら見失い、ただ呆然と立ち尽くす新之助の姿は、見る者にとって何よりも辛いものでした。犯人を恨みきることもできない新之助が、この後どのような未来を見据えて生きていくのか、その問いが深く残ります。
結びに
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第31回は、将軍の死と市井の人々の死という対比を通して、江戸時代の極限状態における人間の尊厳、善意の脆さ、そして社会構造の歪みがもたらす悲劇を鮮烈に描き出しました。蔦重が感じた「良心の喪失」や「声の消失」は、単なる劇中の出来事にとどまらず、権力と市井の隔絶、そして助け合いの精神が逆説的に悲劇を招くという、普遍的なテーマを浮き彫りにしています。この物語は、過去の出来事としてだけでなく、現代社会における貧困や人々の連鎖、そして共感の重要性を再考させる示唆に富んだ内容でした。
出典
- NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第31回「我が名は天」