日本経済の現状と「長寿国家」の皮肉:実質賃金低迷と平均寿命世界一の矛盾

日々、あらゆるメディアから経済関連ニュースが洪水のように流れ込む中、その背景にある真意や事情を理解することは容易ではありません。調達・購買コンサルタントの坂口孝則氏が、得意のデータ収集・分析に基づいて現在の日本経済の動向を解説します。本稿では、日本の経済状況が抱える特有の課題と、世界最高水準にある平均寿命との間に存在する「皮肉な関係」について深掘りします。

実質賃金の現状:物価上昇に追いつかぬ給与

2025年6月の日本の名目賃金は前年同月比で2.5%上昇しました。しかし、同月の物価上昇率は3.8%に達し、結果として実質賃金はマイナス1.3%となりました。多くの企業は、度重なる値上げの理由として原材料費、エネルギー価格の高騰、円安、物流費、そして人件費を挙げています。特に「人件費が高騰している」という声が聞かれる一方で、多くの人々は自身の給与が実感として上がっていると感じていません。たとえ名目上の給与が上がったとしても、体感としては統計以上に物価が上昇し、実質賃金の統計以上に生活が苦しいと感じるのが現状です。

人件費比率と賃上げの「後回し」

最新の法人企業統計を分析すると、全産業平均における売上高に占める人件費の比率は約12%となっています。これは単純化すると、100円の最終商品には12円相当の人件費が含まれる計算です。仮に人件費が10%上昇した場合、それが13.2円に増加し、最終商品の販売価格に転嫁しても上昇率はわずか1.2%にとどまります。この数値からすれば、物価上昇以上の人件費上昇は十分にあり得るはずであり、政府もそのような状況を望んできました。しかし、現状では人件費以外のコストが先行して上昇しており、人件費の引き上げは「後回し」にされている状況が見て取れます。

賃金停滞の背景と改善策への提案

一部の研究者は、日本の賃金が上がらない主な理由として人材の流動性の低さを指摘しています。多くの国では、魅力的な賃金を提示できない企業は労働者から見放され淘汰されるため、人件費を「後回し」にすることはできません。

もし人材の流動化を促進するならば、例えば転職者に数年間の所得税ゼロを適用したり、解雇規制を緩和するといった政策が考えられます。しかし、日本社会は大きな変化を嫌う傾向にあります。そこで現実的な提案として、社員の給与を引き上げた際の法人税控除の金額を、初年度だけでも現状より大幅に引き上げるのはどうでしょうか。これは経営者の賃上げに対する動機付けとなるでしょう。日本人の給与には「下方硬直性」と呼ばれる特性があり、一度上げると簡単には下げられない(下げにくい)ため、効果が期待できます。

世界から見た日本の賃金水準と長寿国家

OECD加盟国の平均年収ランキングにおいて、日本は年によって細かい変動はあるものの、38カ国中25位前後と、加盟国平均にも達していません。これは、いわゆる先進国ではなく新興国の水準に近いと言えるでしょう。一方、米国は世界4位に位置しており、上位には資源産出国など特殊な事情を持つ国が多いため、実質的には経済大国としての地位を揺るぎないものにしています。米国企業が世界で最も成功していることは明らかであり、トランプ大統領の政策には様々な評価があるものの、日本からだけで80兆円もの投資を引き出した事実は冷静に考えても驚異的であり、他国が追随するのは困難です。

人生100年時代を象徴する高齢者のイメージ、日本の長寿社会の課題と実質賃金低迷の関係人生100年時代を象徴する高齢者のイメージ、日本の長寿社会の課題と実質賃金低迷の関係

その一方で、2024年の世界の長寿ランキングでは、日本は堂々の1位を獲得しています。これに対し、米国は46位とかなり低い水準です。薬物乱用、銃犯罪、肥満、高額な医療費など、多くの要因が複合的に作用し、米国はこの10年ほど先進国であるにもかかわらず平均寿命を縮めているという特異な状況にあります。

経済的「失敗」と生命保持の「成功」という皮肉

政治の目的の一つが国民の生命を保つことだとすれば、経済的には「失敗」しているように見える日本が、その目的を最も果たしているという事実は皮肉なものです。この観点からの議論が今、必要とされているのではないでしょうか。あたかも「国家的アンチエイジングに成功した日本」と、「命を削りドルを手に入れた米国」という対比が成り立っているかのようです。

もちろん、現実には「貧乏長生き国家」と「金持ち短命国家」の二者択一ではありませんし、「単に長く生きてどうするのだ」という批判も理解できます。しかし、多くの人々が長く生きる国と、そうではない国とを比べれば、前者が望ましいことは明らかです。生活は大変だと感じつつも、大きな変化を避けて職場に留まることで、ストレスや負担を回避しているという側面もあるのかもしれません。

日本人は、一体何を望んでいるのでしょうか。この問いは、日本の将来を考える上で避けて通れない重要なテーマです。

参考文献