日本の高血圧治療において、血圧基準値は年々厳格化される傾向にあります。このたび、日本高血圧学会は75歳以上の降圧目標値を新たに引き下げると発表し、医療現場と専門家の間で大きな波紋を呼んでいます。このガイドラインを策定した同学会と、降圧剤を製造・販売する製薬会社との関係性には、一部から疑念の声が上がっています。同学会役員に渡ったとされる製薬会社からの「謝礼」に関する調査では、医師の平均を大きく上回る巨額の資金が動いている実態が浮き彫りになっており、新たなガイドラインによる高齢者への降圧剤過剰投与のリスクが懸念されています。
新ガイドラインが示唆する高齢者治療の転換点
日本高血圧学会が7月25日に発表した「高血圧管理・治療ガイドライン」の改訂は、特に高齢者層に大きな影響を与える可能性があります。これまで転倒リスクなどを考慮して高めに設定されていた75歳以上の降圧目標値が「上(収縮期)130/下(拡張期)80未満」に一律化されました。同学会はこの変更について「血圧を下げることで脳卒中などの予防効果が高いと判断した」と説明しています。また、新ガイドラインでは「降圧薬治療の3つのステップ」を提示し、1種類の降圧剤で目標値に達しない場合、早期に2剤併用、さらには3剤併用へと薬を増やすよう促しています。
日本高血圧学会と製薬会社の関係性、新しい降圧目標値への懸念
専門家が警鐘を鳴らす「過剰降圧」のリスク
この新たなガイドラインの改訂に対し、複数の専門家から懸念の声が上がっています。全国70万人分の健診結果を解析し、男女別・年齢別の血圧「基準範囲」を提唱する東海大学医学部名誉教授の大櫛陽一氏は、自身の2004年の研究結果を引用し、「70代男性の場合、上の血圧が170近くまでが健康リスクの低い『基準範囲』だった」と指摘しています。さらに、欧米をはじめとする諸外国の研究でも、高齢者の過度な降圧が認知症の発症や病気による死亡リスクを高めることが明らかになっていると強調します。例えば、2022年に米国の医学誌「JAMA」に掲載された、平均年齢74.5歳の1万7千人を7.3年間追跡した研究論文では、「最も死亡率が低かったのは上の血圧が160、認知症リスクが最低だったのは185」という結果が示されています。
同学会認定専門医であり、過去にガイドライン作成委員も務めた上原誉志夫医師は、「高齢者も血圧を下げた方が良いとする研究データがあることは事実」としながらも、懸念を表明しています。「世界の疫学調査報告などから、『年齢や病態によらず130/80未満に抑えた方が心血管疾患の発症リスクは低い』と判断し目標値を変更したのは、専門家が参照すべきガイドラインとしては適切」と評価する一方で、「この目標値を75歳以上の高齢者に一律に当てはめるのは危険」と警鐘を鳴らします。特に高血圧が専門ではない医療関係者が目標値に縛られ、降圧剤の過剰投与につながる可能性を指摘しています。
製薬マネーと学会の透明性への疑問
新たなガイドラインの発表と時を同じくして、日本高血圧学会の役員に製薬会社から渡ったとされる「謝礼」の額が注目されています。調査の結果、医師の平均をはるかに超える巨額の製薬マネーが動いていることが明らかになり、ガイドライン策定の背景にある利害関係の透明性について疑問が呈されています。医学的な知見に基づくガイドライン策定は重要ですが、その過程における製薬会社との金銭的な関係は、一般市民の信頼を揺るがしかねない問題として、社会的な議論の対象となっています。
個別最適化診療への課題と非専門医の懸念
本誌「週刊ポスト」の取材に対し、同学会は「75歳以上の全員が画一的に130/80未満を目指すのではなく、患者一人一人に合わせた個別最適化診療が必要だとガイドラインに明記している」と回答しています。しかし、上原医師はこの点についても懸念を示しており、「詳細なガイドラインを非専門医が読み込み、全員が正確に意図を理解できるとは考えにくい。現実的には、細かすぎて読み込む時間がない医師がほとんどでしょう」と述べています。結果として、「一律の降圧目標値が一人歩きする可能性は否定できない」とし、実際の医療現場で個別化された治療がどこまで浸透するか、またガイドラインの意図が正しく伝わるかという課題を提起しています。
今回の日本高血圧学会による降圧目標値の改訂は、高齢者の健康管理における重要な転換点となり得ます。脳卒中予防という明確な目的がある一方で、過剰な降圧による新たなリスク、特に認知機能への影響や転倒リスクの増加には細心の注意が必要です。ガイドラインが意図する「個別最適化診療」が確実に実践されるためには、医療従事者への十分な情報提供と理解の促進が不可欠です。患者自身も自身の状態を医師としっかり相談し、最新の情報を踏まえた上で、最適な治療方針を選択することが求められるでしょう。
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