元お笑いコンビ「尼神インター」の誠子さん(36)が、人気絶頂の中でのコンビ解散、そしてピン芸人としての新たな挑戦について語った。少女時代に読書に没頭していた彼女が、いかにしてM-1グランプリとの運命的な出会いを果たし、お笑いの道へと進んだのか。長年の相方・渚さんとの信頼関係の構築、苦難の下積み時代、そして突然の解散宣言に至るまでの真実を、本記事では深く掘り下げていく。日本のエンターテイメント界を揺るがしたこの出来事の背景には、誠子さんの揺るぎないお笑いへの情熱と、人間としての成長の物語が隠されている。
読書に没頭した幼少期:M-1との運命的な出会い
誠子さんは小さい頃、活発というよりは読書を愛する少女だった。母親からの勧めもあり、小学生の頃から本に親しみ、恩田陸さんや森見登美彦さんといった作家の世界に没頭していたという。中学ではバレーボール部、高校ではハンドボール部に所属したが、部員減少により活動を断念。その後は読書漬けの日々を送り、人前に出て何かをするタイプではなかったと振り返る。
人生の大きな転機が訪れたのは、高校3年生の時だった。それまで漠然と大学進学を考えていた彼女の運命を変えたのは、テレビで初めて目にしたM-1グランプリだった。当時の優勝コンビであるチュートリアルをはじめ、笑い飯やブラックマヨネーズらの漫才を目の当たりにし、誠子さんは「漫才師ってかっこいい」「私も漫才師になりたい」と心から強く願うようになった。
尼神インター誠子のデビュー初期の貴重なポートレート。読書好きの少女時代からお笑いの道へ進んだ彼女の笑顔。
NSC入学から相方・渚との出会い、そして信頼関係
高校卒業後、誠子さんは迷わず吉本興業の養成所であるNSC大阪に入学した。当初は相方がおらず、授業やネタ見せではピンネタを披露していた。当時のNSCでは、皆が相方探しに奔走し、様々なコンビの結成と解散が繰り返されていた。誠子さんも複数の相手と試しにコンビを組んだ経験があるという。そんな中、入学した年の夏終わりに転機が訪れる。同期の渚さんから声をかけられたのだ。
誠子さんは当時、中国人の同期とコンビを組んでおり、「結構面白いコンビだね」と評価され、このまま卒業しようと考えていた。渚さんから「俺と組んでや」と言われた時は、その個性に「なんなんこの人」と驚きを感じたという。渚さんは普段から特攻服のようなスカジャンを着用しており、その独特の存在感は際立っていた。しかし誠子さんは、「この人の誘いを断ったら絶対にいけない」という直感に従い、それまで組んでいたコンビを解散し、渚さんと新たな一歩を踏み出すことを決意した。
尼神インターのネタ作りは基本的に誠子さんが担当し、渚さんは誠子さんが作るネタを全面的に信頼していた。二人が目指したのは「二人でやって面白い漫才」であり、誠子さん自身も「容姿も武器だ」と考えていたため、容姿いじりのネタに対しても全く抵抗を感じなかった。「お笑いが大好きで、自分のやったことで笑ってもらえることが、ただただ嬉しかったんです」と当時の純粋な喜びを語っている。
苦難の下積み時代と確固たる自信
尼神インターとしての下積み時代は、約7~8年と決して短くはなかった。誠子さんはこの間、大阪・谷町にあるセブン-イレブンで週7日アルバイトを続けていた。仕事がない日は朝から晩まで働き、オーディションやライブの予定が入れば、同じ店で働く芸人仲間と交代し合いながら、必死に生活を支えた。「ちょこちょこ入る」程度の仕事しかなかったが、バイトを辞めることはなかったという。
厳しい現実の中にあっても、誠子さんは常に「絶対売れる」という強い気持ちを抱いていた。「私たち二人のやっている漫才は面白いんだ」という確固たる自信が、彼女たちを支え続けた。その努力と信念が実を結び、デビューから約8年目でついに全国ネットのテレビ番組への出演を果たす。これを機に東京のネタ番組にも呼ばれるようになり、活動の拠点を東京へと広げていった。
突然の解散宣言:誠子の受け止めと渚への想い
渚さんとは、常に深い信頼関係で結ばれていたという誠子さん。「二人ともベタベタするのが好きなタイプではなく、いつも一緒にカフェに行ったりするわけではなかった」が、「話さなくても分かり合える間柄」であったと述懐する。テレビへの露出が増え、知名度も全国区へと広がっていく中、その関係はコンビ結成から15年目で突然の終わりを迎えることになった。
その瞬間は、ルミネの楽屋で行われたマネージャーを含めたミーティングでのことだった。そこで、渚さんが突如として「解散したいです」と告げたのだ。予想外の言葉に、周囲は皆驚き、誠子さんの第一声は「これってドッキリ?」だったという。渚さんはその思いを伝えるとすぐに退出してしまい、誠子さんは改めてマネージャーに確認を取るも、それが紛れもない現実であることを知った。
「普通に悲しかったんで泣きましたね」と当時の心境を明かす誠子さん。しかし、長年の相方である渚さんのことをよく知る彼女は、渚さんが誠意をもって、そして大きな決意を固めて発表したのだということをすぐに理解した。「だから、抗うことなく、『寂しいけど、わかった』と受け入れました」と、その時の複雑な感情を語った。
解散の本当の理由は渚さんに直接聞かないと分からないとしながらも、誠子さんは自身の憶測として、「彼女は個性的な人間だから、尼神インターとして活動する限り、自分のやりたいことを100%表現しきれない部分があったんじゃないかなと思っています」と推測する。解散の話は2023年12月に出たが、翌年3月末まではコンビとしての仕事を全うした。最後の仕事は、地方営業での漫才だった。「特に『これで最後』という会話もなく、いつも通りに漫才をして終わりましたね」と、静かに幕を閉じたコンビ活動の最後を振り返った。
尼神インターとしての活動を終え、吉本興業を退所しフリーの芸人となった誠子さんは、現在、ピン芸人として活躍する傍ら、「誠子食堂」などの料理イベントも開催するなど、新たな才能を開花させている。読書好きの少女がM-1に衝撃を受け、お笑いの世界に飛び込み、数々の経験を経て新たな道を切り開く彼女の芸人人生は、これからも多くの人々に感動と勇気を与え続けるだろう。
参考文献
- デイリー新潮 (2025年10月18日). 元尼神インター誠子、コンビ解散の真相と知られざる「読書好き」の素顔. Yahoo!ニュース.
https://news.yahoo.co.jp/articles/69b4ce8d68e45529b1632f61051aa81d459df464 - 誠子 (タレント). 1988年、兵庫県出身。2007年、NSC大阪で同期だった渚と「尼神インター」を結成。2024年3月末にコンビを解散、吉本興業を退所。現在はフリーの芸人として活動中。