香港の新界地区西部のベッドタウン、屯門(とんもん)周辺の商店街。「あきらめるなよ」。高齢の男性が声を掛けると、親中派政党、民建連の事務所にいた青年が手を挙げた。
11月24日の区議会(地方議会)選に現職で臨み、落選した巫成鋒(ふ・せいほう)氏(33)だ。2939票対3784票。民主党候補に敗れた。
彼に初めて会ったのは投票日の夕刻。投票所の近くで市民一人一人に頭を下げていた。反政府デモの高まりを受け、親中派候補を取り巻く環境は厳しかった。
しばらく見ていると、駆け寄って彼の手を握ったり肩をたたいたりする市民がたまにいた。一様に、手をさっと出してすぐに引っ込める。周りの目を気にしていた。まるで悪いことでもしているかのように…。
「なぜ、民建連に入ったのですか?」
12月初め、事務所で再会したとき、聞いてみた。
両親は香港生まれ。大学で総合政策学を修め、NGO(非政府組織)勤務を経て2011年、25歳のときに「民建連の関係者に勧誘されて」入党した。その年の区議会選は落選したが、4年後に当選を果たした。
でも、なぜ親中派政党だったのか。端緒は大学生時代の07年、中国本土と香港の学生交流で訪れた北京での体験だったようだ。
「人民大会堂のスケールに感動した。北京のトイレもきれいだったし、会った若者も立派な人物でした」。中国のイメージが一変した。学生交流を進める中国側の狙い通りといえた。
そして08年の北京五輪。「技術的にも優れた開会式を見て国力の強さを感じ、誇らしかった」という。
実は、彼だけではない。香港大の調査によると、「自分を中国人だと思う」と答えた割合が38・6%とピークを迎えたのが08年。同じ年、「香港人だ」は半分以下の18・1%である。