GLP-1受容体作動薬(以下、GLP-1薬)の不適切な使用が、日本社会で大きな問題として浮上しています。2023年8月3日放送のフジテレビ『Mr.サンデー』では、痩身願望を持つ若者たちが、米製薬大手イーライ・リリーのGLP-1薬チルゼパチド(商品名マンジャロ)を不適切に使用している実態が特集されました。「3カ月で13キロ減」といった極端な減量例や「栄養不足は仕方ない」と語る若者の言動が取り上げられ、その安全性への懸念が強く報じられました。さらに、同年8月20日にはFNNプライムオンラインが「もはや貧困国レベルに…世界も驚く低体重の日本人女性」と題し、GLP-1薬を用いた過度なダイエットの危険性を改めて警告しました。
これらの報道を受け、インターネット上では「若い女性が本来の病気治療薬であるマンジャロを無理なダイエットに利用している」といった記事やブログが散見されるようになりました。その結果、GLP-1薬が持つ医学的メリットよりも、「痩せ薬」としての負の側面が過度に強調され、日本におけるGLP-1薬への批判が高まる傾向にあります。この日本の状況に対し、米国ボストン在住の大西睦子医師は、「日本の報道はバランスを欠き、ネガティブキャンペーンのように映ります」と指摘します。米国でもGLP-1薬の使用を巡る社会的な議論は活発ですが、その様相は日本とは大きく異なっているのが現状です。
GLP-1受容体作動薬の注射器。痩身目的での不適切な使用が社会問題化している一方、医療政策や産業戦略の観点からもその開発・活用が注目されている。
セリーナ・ウィリアムズの使用公表と米国の新たな潮流
2023年8月21日、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は「Serena Williams Is the Surprising New Face of Weight-Loss Drugs」(セリーナ・ウィリアムズは減量薬の意外な新顔)と題する記事を掲載し、女子テニス界のレジェンド、セリーナ・ウィリアムズが、出産後の体重管理にGLP-1薬を用いたことを公表したと報じました。この告白は米国で大きな反響を呼び、著名人による使用がこれまで「秘密」とされてきた状況を打破し、社会的な議論を喚起するきっかけとなりました。
オンライン診療企業「ロー(Ro)」の広告で明かされたこの使用公表は、営利企業であるローが「肥満は治療対象である」と強調し、GLP-1薬の販売拡大を目指す姿勢を示しています。一方で、痩身目的でのGLP-1薬の濫用は、本来治療を必要とする患者への供給不足を招きかねないという懸念や、「痩せなければならない」という社会的圧力を強める可能性も指摘されています。WSJの記事は、GLP-1薬の功罪を正面から議論する優れた内容であり、米国メディアを継続的に追うことで、この薬が既に市民権を得ており、社会の中でどのように位置づけ、活用していくべきかという具体的な議論が進んでいることが明確に理解できます。
社会に浸透するGLP-1薬:食文化と外食産業への影響
米国では、GLP-1薬の利用拡大が外食産業や人々の食習慣にまで影響を及ぼしています。例えば、2023年8月7日のニューヨーク・タイムズ(NYT)の記事「Ozempic Is Shrinking Appetites. Restaurants Are Shrinking the Food.」(オゼンピックが食欲を減退させている。レストランは料理を縮小している。)では、GLP-1薬による食欲減退に対応し、外食産業が小容量メニューを導入している実態が紹介されました。ニューヨークのレストランではミニバーガーや小サイズのアルコール飲料を提供し始め、バーやスムージーチェーンも専用メニューを展開するなど、新たな顧客ニーズに応える動きが見られます。
さらに、同年5月12日のNYTの記事「Group Dining on Ozempic? It’s Complicated.」(オゼンピック使用中のグループでの食事?それは複雑だ。)では、GLP-1薬の使用拡大に伴い、米国における外食マナーや習慣が変化しつつある状況が報じられています。食欲抑制の影響で料理を残す人が増え、友人同士でのシェアや小皿料理の需要が高まる一方、食べ残しに対する気まずさや、会計の公平性といった新たな課題も生じています。しかし同時に、「食べ過ぎない安心感」や飲酒量の減少といった利点も指摘されており、これらの変化はGLP-1薬が食文化全体に与える新たな潮流を映し出しています。このような多角的な議論は、社会全体で情報を共有し、試行錯誤を重ねながらGLP-1薬を社会が受け入れようとしている証拠であり、非常に健全であると言えるでしょう。日本の報道がGLP-1薬の負の側面を強調しすぎ、その医学的メリットや社会への適応について十分に説明していない点は、見直されるべき課題だと考えられます。
結論
日本のメディアにおけるGLP-1薬に関する報道は、主にその濫用や危険性に焦点を当て、社会問題としての側面を強く打ち出しています。これに対し、米国ではセリーナ・ウィリアムズのような著名人の使用公表を機に、医学的効果、倫理的課題、そして食文化や社会習慣への影響まで含め、より多角的かつ健全な議論が展開されています。GLP-1薬は、肥満治療薬としての大きな可能性を秘める一方で、不適切な使用によるリスクも無視できません。日本も米国のように、GLP-1薬が持つ潜在的なメリットと、それが社会に与える影響の両面をバランス良く捉え、開かれた議論を通じて、その適切な利用と社会への統合を図る時期に来ているのではないでしょうか。
参考文献
- フジテレビ『Mr.サンデー』2023年8月3日放送
- FNNプライムオンライン「もはや貧困国レベルに…世界も驚く低体重の日本人女性」2023年8月20日配信
- The Wall Street Journal, “Serena Williams Is the Surprising New Face of Weight-Loss Drugs” (August 21, 2023)
- The New York Times, “Ozempic Is Shrinking Appetites. Restaurants Are Shrinking the Food.” (August 7, 2023)
- The New York Times, “Group Dining on Ozempic? It’s Complicated.” (May 12, 2023)