NHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、小泉八雲の妻として知られる小泉セツをモデルにした物語です。ドラマでは、主人公トキ(セツのモデル)の最初の結婚の顛末が描かれていますが、その背景には、明治維新後の日本社会、特に没落した士族が抱えていた複雑な事情がありました。セツの最初の結婚がなぜうまくいかなかったのか、史実とドラマを比較しながら、その破綻の深層に迫ります。これは単なる個人の問題ではなく、時代の変化に翻弄された人々の葛藤を映し出すものです。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のドラマガイド本
ドラマと史実の乖離:セツの最初の結婚が抱えた問題の根源
「ばけばけ」第21回(10月21日放送)では、婿養子の銀二郎(寛一郎)を追って主人公のトキ(髙石あかり)が東京へ向かい、そこで松江出身の秀才・錦織友一(吉沢亮)と出会うという展開が描かれました。しかし、史実では、トキのモデルである小泉セツが夫である前田為二を追いかけた先は東京ではなく大阪でした。ドラマはこのエピソードを脚色していますが、そもそもなぜセツの最初の結婚は破綻へと向かったのでしょうか。
その根底には、明治維新を経て士族の地位が大きく変化する中で、没落した旧士族が抱え続けた「時代錯誤な気位」という、現代からは理解しがたい社会的な問題が横たわっていました。家柄や体面を重んじるあまり、現実的な生活基盤が失われても、その「気位」を手放すことができなかったのです。これは、当時の旧士族が直面した厳しい現実と、彼らが社会の激変の中でアイデンティティを保とうとした苦悩を象徴しています。
史料が語る前田為二と小泉セツの結婚生活の実態
セツの最初の夫である前田為二に関する言及は、後代の文献では極めて簡素に扱われています。例えば、長男である小泉一雄が著した『父小泉八雲』(小山書店1950年)には、以下のように記されています。
「母は明治19年11月30日、因幡国邑美郡本町士族前田小一郎次男為二、安政5年9月22日生を婿養子として迎えている。そして、23年1月12日離婚となっている。是等の事情を秘してハーンと結婚したのではなく、斯る過去ある事を西田氏より詳しく聴いての上で、何も彼も承知の上、父は母を救う気持ちで結婚したのである。」
他の文献でも、小泉八雲とセツの結婚を語る中で、セツの過去については「夫がいたが失踪し、離婚した」と簡単に触れる程度で、詳細な記述はほとんどありません。この情報の少なさ自体が、為二の存在や彼とセツの結婚生活が、世間からあまり注目されなかった、あるいは触れられなかった事実を物語っているとも言えるでしょう。小泉八雲がセツの過去を全て受け入れた上で結婚したという記述は、当時の社会において、結婚経験のある女性、特に離婚歴のある女性に対する偏見があったことを示唆しており、八雲のセツへの深い愛情と理解を際立たせています。前田為二の失踪が、この破綻した結婚の具体的な結末となりました。
八重垣神社の縁結びと運命の示唆:八雲との出会いへの伏線
長谷川洋二の『小泉八雲の妻』(松江今井書店1988年)では、セツの最初の結婚の前段として、彼女が友人と連れだって松江市佐草にある八重垣神社に参拝した時のエピソードが記されています。この神社は、日本神話において素盞嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで稲田姫(クシナダヒメ)との住居を構えた須賀に創建され、後に遷座したという由緒ある縁結びの神社です。
その由来から、八重垣神社には良縁の御利益があるとされ、古くから「良縁占い」が行われていました。薄い半紙の中央に小銭を乗せて池に浮かべ、紙が遠くへ流れていけば遠方の人と縁があり、早く沈めば早く縁づくとされます。まれに、紙の上をイモリが横切って泳いでいくと、大変な吉縁に恵まれるとも伝えられています。長谷川は、友人たちの半紙が早々と沈んだのに対し、セツのだけは池の端近くまでなかなか沈まなかったと記し、八雲との運命的な出会いがあったことを示唆しています。「縁結びの神々の取り計らいは、どうやら一直線のものではなかったようである」という言葉は、セツの最初の結婚が、最終的に小泉八雲と結ばれるまでの「当て馬」のような役割を果たしたという解釈を裏付けています。この神秘的なエピソードは、セツの人生における転換点と、その背景にある日本文化や民間信仰の奥深さを感じさせます。
結論
小泉セツの最初の結婚の破綻は、朝ドラ「ばけばけ」の物語に深みを与えるだけでなく、明治維新後の激動期における旧士族の苦悩と、女性が直面した社会的な制約を浮き彫りにします。前田為二の「時代錯誤な気位」とそれに伴う失踪、そして史料の少なさが示すように、この結婚は社会の変化に適応できない時代の犠牲となった側面がありました。しかし、八重垣神社の縁結びの逸話が暗示するように、その経験はセツが小泉八雲という運命の相手と出会うための伏線でもありました。セツの物語は、個人の人生が歴史の大きなうねりの中でいかに形成され、またその中でいかに愛と理解を見出していくかという普遍的なテーマを私たちに教えてくれます。
参考文献
- 小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年。
- 長谷川洋二『小泉八雲の妻』松江今井書店、1988年。
- NHK連続テレビ小説「ばけばけ」公式ウェブサイト。





