蝶野正洋が語る「闘魂三銃士」の青春時代:橋本真也没後20年の絆と記憶

1988年に結成され、瞬く間に日本のプロレス界の頂点に駆け上がった「闘魂三銃士」――その名は、冷静沈着な武藤敬司、クレバーな頭脳を持つ蝶野正洋、そして規格外の破天荒さで知られた橋本真也という個性豊かな3人の同期によって彩られていました。破壊王・橋本真也選手の逝去から早くも20年が経ち、その偉大な足跡は今も多くのファンの心に刻まれています。本稿では、蝶野正洋氏の共著『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』から一部を抜粋・編集し、伝説の「闘魂三銃士」の若き日々のエピソードと、メンバー間の深い絆を振り返ります。

黒のカリスマが振り返る橋本真也への想い

「闘魂三銃士」の一角として、橋本真也、武藤敬司と共に数々の激闘を繰り広げてきた蝶野正洋氏は、そのクレバーな試合運びとクールなヒールスタイルで「黒のカリスマ」と称され、今もなおプロレス界に大きな影響力を持ち続けています。リングとは距離を置く時期が長く続きましたが、2023年2月21日、東京ドームで行われた武藤敬司選手の引退試合の解説を務めた際、武藤選手の呼びかけに応じる形で特別試合を敢行。一夜限りの電撃復帰を果たし、ファンに「闘魂三銃士」の絆を感じさせる熱いドラマを届けました。

「黒のカリスマ」蝶野正洋が闘魂三銃士時代の思い出を語る「黒のカリスマ」蝶野正洋が闘魂三銃士時代の思い出を語る

蝶野氏はこのサプライズ復帰について、「あれは完全にアドリブで、俺自身も武藤さんと最後に試合するとは思ってなかった」と語りつつ、「でも、あれを橋本選手が見てくれてたら、なんて言うだろうな、とは思ったよね」と、今は亡き盟友への深い想いを明かしています。さらに、石川県知事の馳浩氏から観光大使を拝命した(2025年5月22日)際のエピソードにも触れ、「知事室で俺と馳センセイが握手して報道陣に囲まれてるなんてことも、20年前は想像もしていなかったことだよね。橋本選手に話したいこと、見せたいことはたくさんあるよ」と、橋本選手に伝えたい記憶や出来事が尽きないことを吐露しました。

「ずる賢い野郎」だった初対面:新日本プロレス入門秘話

蝶野正洋氏が新日本プロレスに入門したのは1984年。同期には武藤敬司、野上彰、船木誠勝(優治)、そして橋本真也といった、後にプロレス史に名を刻む面々が顔を揃えていました。「闘魂三銃士は同じ日に入門している(84年4月22日)」と蝶野氏は記憶を語りますが、橋本選手については「武藤さんと俺より1週間くらい早く入ってた」という説が一般に広まっていることにも言及しています。しかし蝶野氏の記憶では、「俺が道場に着いた時に橋本選手はもう着替えて待ってたから、先に入ってたといえばそうなんだけどね」と、その出会いを鮮明に覚えているようです。

初日の合同練習での出来事もまた、忘れられない思い出として語られています。ある先輩が蝶野氏、武藤氏、橋本氏を前に出し「今日から入った3人だ」と紹介した直後、早くも蝶野氏と橋本選手は喧嘩になったというのです。このエピソードからは、若き日の橋本選手の情熱的で、時に破天荒な人柄が垣間見えます。蝶野氏が最初に抱いた橋本選手への印象が「ずる賢い野郎」だったという言葉も、今となっては彼らの間に育まれた特別な絆の表れと言えるでしょう。

「闘魂三銃士」としてプロレス界を牽引し、多くのファンを熱狂させた彼らの青春時代は、まさに絆と激動の連続でした。橋本真也選手がこの世を去って20年が経ちますが、蝶野正洋氏の言葉からは、盟友への変わらぬ敬意と、共に歩んだ日々への深い追憶が感じられます。彼らが築き上げた伝説と友情は、これからもプロレス史の中で輝き続けることでしょう。


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