元衆議院議員の石川知裕氏が9月6日早朝、直腸がんのため52歳の若さでこの世を去りました。かつて“国策捜査”とも称された「陸山会事件」に巻き込まれ、逮捕、議員辞職という激動の道を歩んだ石川氏の生涯は、まさに波乱に満ちていました。政治の世界で理想を追い続けながらも、不当な捜査の犠牲となり、晩年は病と闘い続けたその人生は、多くの人々に深い影響を与えました。
若き政治家としての歩みと「陸山会事件」の勃発
石川氏は北海道足寄町の出身で、早稲田大学在学中から政治サークル「鵬志会」に所属し、政治家を志しました。その後、小沢一郎衆議院議員の秘書を務め、2005年の衆院選では旧民主党から北海道11区に出馬。一度は次点に終わるものの、2007年3月に比例区で繰り上げ当選を果たし、衆議院議員となりました。2009年の衆院選では再選を果たし、順調に政治家としてのキャリアを築いていくかに見えました。
しかし2010年、石川氏の人生は「陸山会事件」によって大きく暗転します。小沢氏の政治資金団体「陸山会」の2004年・2005年の収支報告書に虚偽記載があったとして、石川氏を含む小沢氏の元秘書3名が東京地検特捜部に政治資金規正法違反容疑で逮捕されました。逮捕を受け、石川氏は民主党を離党。裁判では、地裁、高裁で有罪判決が下され、2014年には最高裁が上告を棄却し、有罪が確定しました。虚偽記載についてはやむなく認めたものの、建設会社からのヤミ献金5000万円を受け取ったと裁判所が認定した点については、最後まで納得できないまま争い続けました。
検察捜査の闇と石川氏の苦闘
石川氏が逮捕された当時、民主党政権下で小沢氏は幹事長を務め、党代表候補に名が挙がるなど、政界に大きな影響力を持っていました。特捜部による石川氏らの逮捕は、自民党から政権を奪い勢いづく小沢氏の立件を狙ったものと指摘されましたが、小沢氏自身は起訴には至りませんでした。その後、検察審査会が2度にわたり小沢氏を起訴相当と議決し、強制起訴されましたが、2012年には無罪が確定しています。
この陸山会事件では、検察の不当な捜査が次々と明らかになりました。石川氏の事情聴取においても、実際にはなかった虚偽のやりとりを検事が捜査報告書に記載していたことが発覚。これにより、担当検事は懲戒処分を受けて辞職し、東京地検の元特捜部長らも懲戒処分を受ける事態となりました。筆者自身も当時、週刊朝日の記者として、石川氏や小沢氏に対する検察捜査の「暴走」ぶりを取材し、記事にしていました。
波乱の政治人生、そして晩年の闘病
石川氏は訴訟中の2012年、新党大地から衆院選に立候補し、比例復活当選を果たし、衆議院議員3期目を務めます。しかし、控訴審での有罪判決を受け、2013年5月に議員辞職。最高裁で有罪が確定したことで公民権停止となり、「政治家が天職」と語っていたにもかかわらず、政治活動から距離を置かざるを得ない状況に追い込まれました。
久々に政治の舞台に戻ってきたのは2019年、野党統一候補として北海道知事選に出馬するも敗北。その後も2021年の参院選、そして昨年10月の衆院選に立憲民主党から出馬しましたが、いずれも落選という結果に終わりました。
私(筆者)が石川氏から体調不良の兆候を聞かされたのは、2023年冬頃のことでした。「麻雀をしていたら、お尻から出血があってさ」と痔の症状だと話していましたが、詳細を聞くうちに、私自身の経験とは異なる深刻さを感じました。人間ドックを長年受けていないと聞き、すぐに病院での精密検査を勧めたのです。年が明けた2024年、石川氏から電話があり、「かなり悪いと診断されました。大腸がんで、ステージ3もしくは4だろうということでした」と告げられました。深刻な病状にもかかわらず、彼は周囲を心配させまいと、元気な声を出していたのが印象的でした。その後、手術は成功し、一時は好きな麻雀や酒も楽しめるようになったと聞いて、安堵したものです。
「鵬志会」の後輩、竹内県議の悲劇と石川氏の無念
昨年11月、兵庫県の斎藤元彦知事の内部告発問題で、知事を厳しく追及していた兵庫県議の竹内英明氏がSNSなどで誹謗中傷を受け、「家族を守るため」として県議を辞職。そして今年1月、竹内氏は自死しました。
2019年、北海道知事選出馬会見に臨む元衆議院議員・石川知裕氏
石川氏は「鵬志会」で竹内氏の1つ先輩にあたる関係でした。当時、石川氏は「英明に何度か電話して励ましていた。兵庫県に行って、また頑張ろうと一杯やるつもりだった。あんなSNS攻撃が引き金になるなんて悔しい。陸山会事件でえらい目に遭った俺なら、英明の気持ちがよくわかる」と、竹内氏の死に対する無念の思いを語っていました。自らが不当な攻撃の標的となった経験から、竹内氏の苦悩に深く共感していた様子がうかがえました。
2024年4月、早稲田大学鵬志会の友人と姫路城を訪れる石川知裕氏
激動の生涯を駆け抜けた石川知裕氏
石川知裕氏は、若くして政治の道を志し、国会議員として活躍したものの、「陸山会事件」という不当な捜査に翻弄され、その政治人生は大きく狂わされました。しかし、彼は困難な状況にあっても政治への情熱を失わず、度重なる選挙に挑戦し続けました。晩年は病との闘いを強いられながらも、世の中の不条理に対しては深く心を痛める、人間味あふれる一面も持ち合わせていました。彼の生涯は、日本の政治における光と影、そして個人の尊厳がどのように試されるかを示すものであったと言えるでしょう。心からご冥福をお祈り申し上げます。