「(総理に)絶対なってやると思っている」。去る10月14日、都内での講演で自民党の高市早苗総裁(64)がこう語った言葉は、まさに現実味を帯びてきている。高市氏は日本維新の会に対し「基本政策がほぼ一致」と連携を呼びかけ、連立政権樹立を視野に入れた政策協議をスタートさせた。さらに、参政党にも「政策が近い」として、首班指名選挙での自身への投票を働きかけている。これにより「高市総理」誕生の可能性が有力視され始めたが、その座を手にするためのなりふり構わない多数派工作には、重大なリスクも内在している。
自民党の高市早苗総裁、首相指名選挙に向けた連立交渉の展望
公明党離脱が自民党にもたらした影響と高市氏の戦略転換
公明党の連立離脱という予期せぬ事態は、自民党の政権運営に不透明感をもたらした。高市氏自身も、前述の講演で「『総裁になったけれど、総理にはなれないかもしれない女』と言われている。かわいそうな高市早苗」と悲壮感を滲ませていたほどだ。この窮地を打開する鍵となりそうなのが、日本維新の会である。
高市氏は10月15日、日本維新の会の吉村洋文代表(50)と会談。首相指名選挙での協力体制を構築し、将来的には連立政権の樹立を目指した政策協議を開始することで合意に至った。もし自民党と維新との間で連立協議が合意に達すれば、維新は首班指名選挙で高市氏に投票することになる。これは事実上、高市総理誕生を確実なものとし、自民・維新による新たな連立政権が発足する可能性が極めて高いことを意味する。
維新との連携、そして過去の経緯
なぜこのタイミングで維新との連立協議が具体化したのか。実は維新は、自民党総裁選の期間中から、小泉進次郎農相(44)の勝利を予測し、連立入りに向けて水面下で動いていた。維新の遠藤敬国対委員長(57)は、小泉氏の後見人である菅義偉元総理(76)と会談するなど、小泉氏陣営の議員らと密なやり取りを重ねていたとされる。複数の自民党関係者は「首班指名選挙での協力や、その後の連立協議が既定路線になっていた」と見ていた。
しかし、結果的に小泉氏ではなく高市氏が新総裁に就任したことで、一度は話が立ち消えとなった。高市氏自身も、総裁就任後は真っ先に国民民主党の玉木雄一郎代表(56)と会談し、国民民主党との連携を模索していたのである。この状況に大きな転機をもたらしたのが、公明党の連立離脱だった。当初想定されていた「自民・公明・国民」の枠組みが崩壊し、もはや自民党と国民民主党が手を組んでも、衆参両院で過半数を確保することが不可能となった。玉木氏も「(国民との連立話は)あまり意味のない話になった」と語り、トーンダウンせざるを得なかった。
国民民主党の思惑と連立交渉の舞台裏
国民民主党の中堅議員は、当時の状況について「党勢が低迷する維新と異なり、国民民主党は参院選で野党トップの比例票を獲得するなど勢いがあった。もともと玉木代表は、もう一度衆議院選挙を野党として戦い、さらに議席を増やした上でキャスティングボートを握りたいという戦略を持っていた」と解説する。このような国民民主党の独自路線も、高市氏が維新へと戦略の軸足を移す一因となった。
1992年参院選出馬時の高市早苗氏。首相の座を狙う現総裁の政治キャリアの始まりを示す歴史的写真。
結論:高市総理への道と今後の課題
高市早苗総裁が首相の座に迫る中、日本維新の会との連立交渉は決定的な局面を迎えている。公明党の連立離脱により生じた政治空白を埋めるべく、高市氏と維新は政策協議を通じて新たな多数派形成を目指す。しかし、これは各党の思惑が複雑に絡み合う中で進められており、高市氏が描く「絶対総理になってやる」という目標達成には、今後も予期せぬ政治的駆け引きとリスクが伴うこととなるだろう。連立政権の枠組み、そしてその中での政策実現能力が、国民からどのように評価されるかが注目される。
参考文献
- Yahoo!ニュース (2025年10月17日). 首班指名の行方は. https://news.yahoo.co.jp/articles/d03d2b35a16ff64abc8ce183bb6c62149db62079