日本維新の会連立政権入り:橋下徹氏が語る「維新の看板と逆算のシナリオ」

元大阪市長・大阪府知事である弁護士の橋下徹氏が、ビジネスリーダーの問題解決をテーマにした連載で、日本維新の会の連立政権入りについて言及しました。公明党が自民党との連立を離脱し、維新が新たなパートナーとなった今回の政治動向は、議員定数削減など維新の主要政策実現の大きなチャンスと見られています。橋下氏は、自身が立ち上げた維新の躍進をどのように評価し、その裏側にある戦略と未来への警鐘を鳴らします。

自公連立解消と維新の新展開:橋下氏の期待

長年にわたり続いた自公連立が解消され、自民党と日本維新の会の新たな連立政権が発足し、さらに初の女性首相が誕生するという展開は、多くの国民に興奮をもたらしました。わずか15年前に大阪で6人のメンバーからスタートした政治グループが、今や国政の中枢で政策実現に向けて邁進している状況は、橋下氏にとっても感慨深いものです。大阪府知事が総理大臣と協力し、日本の政治を動かすというこの劇的な変化は、自民党総裁選から新連立誕生までわずか16日間という短期間で実現しました。この急速な展開は偶然や「棚ぼた」に見えるかもしれませんが、橋下氏はこれを吉村洋文代表をはじめとする維新の大阪グループが綿密に練り上げてきた「逆算のシナリオ」の賜物であると断言しています。

橋下徹氏が日本維新の会の戦略と展望について語る様子橋下徹氏が日本維新の会の戦略と展望について語る様子

維新の「パーパス」と「中間目標」:大阪維新から国政へ

企業であろうと政党であろうと、最終目標を達成するためには、明確な「パーパス(目的)」と「中間目標」の設定が不可欠です。国政政党としての維新の最終目標は政権獲得ですが、その達成のためには具体的な中間目標がなければ、自分たちが政治を志す理由そのものを見失ってしまいます。

当初、「大阪維新の会」が掲げたのは、個人主義に基づく統治機構改革でした。徹底した財政規律を保ちながら、政治・行政、制度・補助金改革といった政策実現にこだわり抜く姿勢です。そして、賢い投資を通じて大阪を再生させるという政策を実現してきました。賛否はあったものの、その厳しさや痛みを伴う改革、政策実現への執念があったからこそ、大阪・関西万博の成功、日本初のIR(カジノを含む統合型リゾート)開業、高校授業料の完全無償化などが実現したと橋下氏は指摘します。維新の規模が拡大したのは、あくまで政策実現の副次的な効果に過ぎないという見解です。

しかし、国政に進出した「日本維新の会」は、苦労して築き上げてきたブランドや「看板」の意味を十分に理解していなかったと橋下氏は批判します。維新の看板で当選した途端、自身の憧れる政治スタイルや政治的考えを、維新のブランドの意味と照らし合わせることなく実現しようとしたと見ています。現在の維新は「自分たちは保守政治家だ」と主張しますが、保守とは本来、自身が属する共同体の基盤(歴史・伝統・文化)を大切にする姿勢を指します。それにもかかわらず、今の維新は、維新というブランドが形成されてきた歴史や経緯、先人たちの苦労を顧みず、新しいメンバーが自分の思いだけで事を進めようとしていると橋下氏は分析。自民党と国家のあり方を議論することで、自分たちを保守政治家だと「酔っている」ように見え、「上っ面保守」であると厳しく評価しています。

「野党第一党」から「与党過半数割れ」への戦略転換

吉村氏が2024年12月に代表に就任する前の馬場伸幸代表時代、維新の中間目標は全国の選挙区にくまなく候補者を擁立し、議席を増やして野党第一党になることでした。しかし、これでは野党票が分散し、共倒れが生じるリスクを伴います。それでも議席増を目指したのは、永田町で尊重されることに気持ちよさを感じたからだと橋下氏は見ています。

しかし、野党第一党になったとしても、与党が過半数を維持していれば大きな政策実現は困難です。与党の施策に異を唱えたり、小さな法案修正に奔走したりする「野党ライフ」では、永田町の「ノミュニケーション文化」が中心となり、仲間や子分を増やすことが主目的になりがちです。その結果、目的が不明瞭な飲み会が頻発し、「陣中見舞い」といった名目での金品授受に対する危険察知能力も鈍ると橋下氏は警鐘を鳴らします。永田町の慣行を変えることが維新の看板でありブランドであることを忘れ、自民党議員の振る舞いを模倣し、それが政治だと錯覚してしまうと、組織は迷走するのです。

このような状況に警鐘を鳴らし、維新本来のパーパスと中間目標を再設定しようとしたのが、維新の大阪政治グループでした。彼らのパーパスは「政策実現への執念」。最終目標を政権奪取とするならば、中間目標は野党第一党ではなく、「与党過半数割れ」であると再定義したのです。与党を過半数割れに追い込めば、野党の存在価値は高まります。与党は野党の主張を無視できなくなり、野党が与党と連携して政策を実現することも可能になります。この状況では、野党の中で第一党か第二党かはそれほど重要ではありません。

そのため、大阪の政治グループは、維新の議席数が増えなくとも、あるいは減るような事態になったとしても、野党が共倒れになるのを避け、与党を過半数割れに追い込むことを中間目標としました。与党を過半数割れに追い込むためには、維新の候補者だけでも全選挙区に闇雲に擁立する戦略は控えるという方針転換がなされたのです。これは馬場前代表の全国擁立戦略からの大きな転換でした。

逆算のシナリオが導いた連立合意

パーパスと最終目標から逆算した中間目標。先の参議院選挙で維新は見事にそれを達成し、与党は衆参両院で過半数割れとなりました。この機を捉え、大阪の政治グループや吉村氏は、自民党総裁選で勝利が有力視されていた小泉進次郎氏の陣営と接触し、国会議員を中心に政策協議を行ったと言います。小泉氏が総裁選で敗れた後も、この時の両党の協議が後に活きてきます。公明党の連立離脱を受けて野党との連携を模索していた高市早苗新総裁と吉村氏を結びつけたのは、「人間関係の魔術師」の異名を持つ維新の遠藤敬氏(現首相補佐官)でした。そこから怒涛の連立協議が始まり、維新の藤田文武共同代表が尽力し、最終的に自民維新連立合意に至ったのです。

与党過半数割れという中間目標の再設定、その達成を受けての小泉陣営などとの政策協議という確固たる基盤があった上で、遠藤氏が高市政権との連携・連立というチャンスを確実に掴みました。そして、高市氏と藤田氏による緻密かつ熱量ある政策協議が行われたのです。これは決して偶然の産物ではなく、しかるべき「逆算のシナリオ」が組まれた結果であると橋下氏は強調しています。

今回、維新は自党の議席数を大幅には増やしていません。しかし、与党過半数割れという中間目標を達成したことで、自らの価値に恐ろしいほどのレバレッジを効かせることができました。もし与党が過半数を維持していたら、維新が野党第一党になったとしても、現在のように政策実現に影響力を持つ存在にはなれなかったでしょう。

連立政権発足にあたり、高市早苗首相と握手する日本維新の会の吉村洋文代表連立政権発足にあたり、高市早苗首相と握手する日本維新の会の吉村洋文代表

維新が守るべき「看板・ブランド」の真価

維新はこれまで、政策実現を積み重ねることで支持を広げてきました。国会でのわずかな態度や記者会見、街頭演説だけで支持が広がるものではないというのが、維新という看板やブランドに凝縮された教訓であると橋下氏は考えています。しかし、現在のメンバーにはそうした教訓から学ぼうとする熱意が低いと感じると述べています。

公金の扱いに徹底して厳しい姿勢を貫きながら、政策実現に徹底的にこだわる。これこそが維新の看板・ブランドを築き上げてきた真髄です。もし維新がその意味を深く考えることなく、「ザ・自民党スタイル」に染まっていけば、いずれ国政維新は消滅するか、自民党に吸収される可能性が高いと橋下氏は警告します。しかし大阪では、維新の知事や市長が打ち出す政策を有権者が実際に体感しているため、大阪維新は存続する可能性が高いと分析しています。

つまり、維新が自民党と連立を組んでもその存在意義を失わないためには、自民党とは異なる維新独自の「看板・ブランド」をしっかりと守りながら、地方で知事や市長を輩出し、維新の政策を実行し続けることが不可欠であるということです。

橋下氏は、現在、パーパスの共有や組織のブランディングについて深く理解している政党として参政党を挙げています。自身の考え方とは異なる点も多いものの、参政党が「こういう政党である」というブランディングを着実に実行している点を評価しています。

維新も「保守」を名乗るのであれば、自分たちの看板やブランドに込められた意味、経緯、そして先人たちの苦労をもっと深く学ぶべきだと橋下氏は訴えます。現在、維新の国会議員たちは政策実現のために燃え盛っていると伝えられています。自民党と次々に政策協議体を設け、省庁幹部たちも維新を与党として扱っています。維新の国会議員たちが日本の政治を動かす一員になっているこの状況すべてが、維新の看板・ブランドの賜物であると橋下氏は結論付けています。


参考文献

  • 橋下 徹(はしもと・とおる) 元大阪市長・元大阪府知事
    1969年生まれ。大阪府立北野高校、早稲田大学政治経済学部卒業。弁護士。2008年から大阪府知事、大阪市長として府市政の改革に尽力。15年12月、政界引退。北野高校時代はラグビー部に所属し、3年生のとき全国大会(花園)に出場。『実行力』『異端のすすめ』『交渉力』『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう』など著書多数。最新の著作は『政権変容論』(講談社)。
    構成=三浦愛美
    写真=時事通信フォト