小泉八雲と妻セツ:日本への愛と揺るぎない絆の物語

明治の文豪、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、その深い日本文化への理解と愛情から、松江の人々には「ヘルン先生」として慕われました。和装や和食を好み、日本の風土に深く溶け込んだ外国人として、『松江日報』にも好意的に報じられています。彼の日本での生活、特に日本人妻セツとの絆は、今日まで多くの人々に語り継がれる感動的な物語です。

ヘルン先生の優しさと人間性

ハーンは、その感受性と深い人間愛によって、数々のエピソードを残しています。伊藤氏が指摘するように、「日本では、小柄な身長でもコンプレックスを抱かずにすんだので、居心地がよかったのかもしれません」と、彼は日本での生活に安らぎを見出していました。彼とセツが事実婚の後、富田旅館から一軒家へ転居したきっかけも、ハーンの優しさによるものでした。宿の娘の眼病を心配したハーンが、宿の主人に病院へ連れて行くよう勧めるも一向に応じない様子に、「珍しい不人情者、親の心ありません」と激怒し、即座に引っ越しを決めたのです。自身の目が不自由であったハーンにとって、娘の眼病は他人事ではなかったのでしょう。

共に生活する中で、セツはハーンの慈悲深い心にしばしば触れました。ある時、数人の子供が子猫を水に沈めて虐めている場面に遭遇したセツが猫を助け、家に連れ帰った際のこと。ハーンは「おお、可哀想な子猫、残酷な子供たちだね」と、震える猫を自分の懐に入れて温めたのです。その姿を見たセツは、「大変感心いたしました」と記しています。小泉氏によれば、ハーンは「潔癖で、不人情なことが嫌いでした。人力車の車夫を雇う際にも『あなた、奥さんを大事しますか?』とわざわざ確認するほどでした」と、彼の徹底した人間性が窺えます。

しかし、ハーンには神経質な一面もありました。旅行中、宿で酒を飲んで騒いでいる客に遭遇すると、セツの袖を引いて「だめです、地獄です、一秒でさえもいけません」と、その場を離れたがったといいます。セツはそんなハーンの姿をも「ヘルンの極まじりけのない良いところであったと思います」と振り返り、彼の純粋な人柄として受け止めていました。

セツ夫人、揺るぎない心の強さ

外国人との結婚が珍しかった時代、セツは好奇の目に晒されることも少なくありませんでした。「ハーンが日本好きで、ヘルン先生と慕われていても、当時は『羅紗緬(らしゃめん)』といって、外国人の妻や妾を指す蔑称もあり、さまざまな陰口を耳にすることもあったはずです。セツには、それをものともしない心の強さがありました」と小泉氏は語ります。そのような厳しい社会の視線に屈することなく、セツはハーンを支え続けました。

NHK連続テレビ小説『ばけばけ』ヒロイン松野トキ役の髙石あかりとレフカダ・ヘブン役のトミー・バストウNHK連続テレビ小説『ばけばけ』ヒロイン松野トキ役の髙石あかりとレフカダ・ヘブン役のトミー・バストウ

家族の形成と日本国籍取得へ

1893年11月、セツは長男を出産します。ハーンは自身のミドルネームである「ラフカディオ」をもじり、「一雄(かずお)」と名付けました。一家はその後、熊本へ転居します。寒さに閉口したことに加え、「珍しい外国人家族であったため、セツが生まれ育った松江では住みにくいのではという、ハーンの配慮があったのかもしれません」(小泉氏)。

1894年には神戸へ移り、さらに翌年、「家族がいる日本をベースにするため」という決意のもと、島根県知事宛てに外国人入夫結婚願いを提出し、日本への帰化を申請しました。そして1896年、その願いが許可され、ハーンはついに日本国籍を取得します。彼は和歌で出雲国にかかる枕詞「八雲立つ」にちなみ、「小泉八雲」と名乗り、日本人としての新たな人生を歩み始めたのでした。

小泉八雲と妻セツの物語は、異文化間の理解と愛情がいかに深い絆を育むことができるかを示すものです。ハーンの日本への愛情、そしてセツの揺るぎない支えが、今日の私たちに多くの感動と示唆を与え続けています。

参考文献