朝ドラ「ばけばけ」が描く真実:小泉八雲を支え『怪談』を生んだ語り部、小泉セツの知られざる生涯

NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の放送開始と共に、そのモデルとなった作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻、小泉セツに再び脚光が当たっています。提灯の光に照らされた血、耳をもぎ取られた芳一といったおどろおどろしい怪談を語るトキ(髙石あかり)の姿は、まさにセツの「語り部」としての才能を彷彿とさせます。八雲の多くの代表作、特に世界的に有名な『怪談』は、セツが日本各地に伝わる怪談や伝承を夫に語り聞かせ、八雲がそれを文学作品として再話・集大成した「夫婦合作」とも言える結晶です。

小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡氏(64歳)は、小泉八雲とセツのひ孫にあたり、この朝ドラを巡るセツへの注目に大きな喜びを感じています。「八雲は日本語の『てにをは』や形容詞の活用が苦手で、独特な“ヘルン言葉”でコミュニケーションを取っていました。そのような中で、セツが持つ語り部としての非凡な才能が、夫婦の間に文学的な橋渡しをしました。まさに『怪談』出版120周年の節目に、朝ドラがセツの功績を世に知らしめることになったのは、驚きと喜びが同時にやってきたような感覚です」と語ります。凡氏が幼少期を過ごした東京の実家には、セツが愛用した姿見が残されており、右側が色あせているのはセツが濡れ手ぬぐいをかけていたからだと家族から聞かされたと言います。「愛用品を通して、曽祖母の息遣いや、時代を超えたつながりを感じることができました」と、凡氏は祖先の面影に思いを馳せます。

小泉八雲記念館の小泉凡館長が小泉八雲旧居の入り口に立つ様子小泉八雲記念館の小泉凡館長が小泉八雲旧居の入り口に立つ様子

朝ドラで脚光を浴びる小泉セツ:怪談を生んだ“語り部”の才能

小泉セツが『怪談』をはじめとする八雲の作品群に与えた影響は計り知れません。彼女の語り部としての才能は、日本文化を深く理解し、愛する八雲にとって、欠かせないインスピレーションの源でした。セツは単に物語を伝えるだけでなく、その情景や感情、文化的背景までも八雲に伝え、彼の筆を通して普遍的な文学へと昇華させていったのです。凡館長が語るように、不完全な日本語を話す八雲と、物語の宝庫であるセツの間に生まれた「ヘルン言葉」という独自のコミュニケーションは、彼らの創造活動の核心を成していました。

朝ドラ『ばけばけ』が、これまで歴史の陰に隠れがちだったセツの功績に光を当てることで、多くの人々が彼女の存在と、彼女が日本文学に残した足跡に気づき始めています。単なる偉大な作家の妻としてではなく、彼と共に文学を創造した「共同制作者」としてのセツの真価が、今まさに再評価されつつあります。

激動の時代を生きた小泉セツの生い立ち:捨てられた幼少期の記憶

小泉セツは1868年、松江藩の城下町で、藩士・小泉湊の娘として生まれました。節分の時期に生まれたことから「セツ」と名付けられたとされます。しかし、生後わずか7日で、小泉家よりも家格が下の稲垣家へ養女に出されます。予備校社会科講師の伊藤賀一氏は、その著書『面白すぎて誰かに話したくなる 小泉八雲とセツ』の中で、「心のどこかで“家族に捨てられた”という思いを抱いていたのかもしれません」と指摘しています。

幼少期のセツは、明治維新という日本の激動期を経験します。1875年には、実父と養父の双方が家禄を奉還し、翌年の廃刀令によって武士の身分が平民と同じになるなど、社会構造が根底から覆される時代を生き抜きました。こうした幼少期の体験は、家族との絆や伝統的な価値観に対するセツの感性を形成し、後の八雲との出会いと文学的な協力関係に深く影響を与えたことでしょう。母に捨てられた過去を持つ八雲と、養女に出されたセツが、互いの境遇に心引かれ合ったのは、決して偶然ではなかったのかもしれません。彼らは互いの中に、深い共感と理解を見出し、唯一無二の絆を育んでいったのです。

雑司ヶ谷霊園に安らかに眠る小泉八雲夫妻の墓石雑司ヶ谷霊園に安らかに眠る小泉八雲夫妻の墓石

結びに:セツが遺した文学的遺産と現代へのメッセージ

小泉セツの物語は、単に過去の偉人の妻の生涯を辿るだけではありません。それは、陰に隠れがちだった一人の女性が、その才能と経験を通じていかに偉大な文化遺産に貢献したかを示すものです。彼女の語り部としての力と、困難な時代を生き抜いた強さは、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えます。朝ドラ「ばけばけ」を通じて、小泉セツの深い物語がさらに多くの人々に届き、彼女の文学的貢献が正当に評価されることを期待します。セツの生涯は、時代や性別を超え、個人の才能と努力が歴史に残る大きな足跡を残し得ることを教えてくれるでしょう。


参考文献: