将棋界「藤井一強」から「藤井・伊藤二強時代」へ:伊藤匠二冠が王座戦で藤井聡太を破る

かつて「藤井一強」と称された将棋界の勢力図が、大きく変化を遂げつつあります。2024年10月28日に行われた将棋の八大タイトル戦の一つ、王座戦五番勝負の最終局において、伊藤匠叡王(当時)が藤井聡太七冠(当時)を破り、見事タイトルを獲得しました。この勝利により、伊藤匠棋士は叡王と王座の二冠を保持することとなり、一方で藤井聡太棋士は六冠へと後退しました。

藤井聡太棋士はこれまで33回ものタイトル戦に出場していますが、敗北を喫したのは昨年の叡王戦と今回の王座戦の、いずれも伊藤匠棋士との対局のみです。両者の通算対戦成績は藤井の14勝6敗ですが、2024年度以降に限定すると伊藤が6勝4敗と勝ち越しており、まさに好敵手と呼ぶにふさわしい関係を築いています。両棋士は共に23歳と同年齢であり、今後の将棋界の未来を担う存在として、その動向に注目が集まっています。

伊藤匠二冠の台頭:師匠が語る素顔と成長の軌跡

週刊新潮では、伊藤匠棋士が昨年に藤井聡太棋士の八冠独占を阻止し、初のタイトルを獲得した時期に、師匠である宮田利男八段への取材を行っています。ここでは、その取材内容を再構成し、伊藤匠二冠の知られざる素顔と、これまでの歩みを深く掘り下げていきます。

弁護士の父と将棋との出会い

藤井聡太棋士と伊藤匠棋士は、共に2002年生まれです。藤井棋士が7月19日、伊藤棋士が10月10日と誕生日は異なりますが、5歳で将棋を覚えた点は共通しています。伊藤棋士の場合、ソフトウェア知財や法務に詳しい弁護士である父親から、クリスマスプレゼントとして将棋盤と駒を贈られたのが将棋を始めるきっかけでした。その後、自宅からほど近い「三軒茶屋将棋倶楽部」に足繁く通うようになります。後に伊藤棋士の師匠となる宮田利男八段(71)は、当時の伊藤少年を次のように語っています。

「5歳くらいの頃から、毎日のように三軒茶屋将棋倶楽部に足を運んでいましたね。最近は顔立ちもすっきりしていますが、当時は頬がふっくらとしていて、とても可愛らしかった。今でこそ堂々とした態度ですが、昔は物静かで、どこかオドオドしていることの多い子どもでした」

「藤井を泣かせた男」からプロ棋士への道

そんな伊藤匠少年は、2012年の全国小学生将棋大会の準決勝で、当時まだ幼かった藤井聡太少年と対戦しています。この対局で敗れた藤井少年が悔しさのあまり号泣したというエピソードから、伊藤は「藤井を泣かせた男」として知られるようになりました。しかし、その後藤井棋士が2016年に史上最年少の14歳2カ月でプロ棋士として四段昇格を果たしたのに対し、伊藤棋士がプロ棋士になったのは2020年、17歳の時でした。

宮田八段は、伊藤棋士がプロになるまでの道のりについて、さらに詳細を明かしています。「伊藤は奨励会三段リーグに所属していた時、父親に高性能なPCを買ってもらったんです。200万円から300万円はするような、当時としてはものすごい性能のPCでした。伊藤が四段に昇格してプロ棋士になれたら、代金の半額を父親に返すという約束だったそうです。それまでは、私が使うような一般的なノートPCで将棋研究をしていた。高性能なPCに切り替えたことも功を奏し、四段昇格へと繋がったのでしょう」

王座戦で藤井聡太六冠(左)に勝利し二冠となった伊藤匠叡王(右)王座戦で藤井聡太六冠(左)に勝利し二冠となった伊藤匠叡王(右)

高性能PCとAI研究が拓く新境地

高性能PCを活用した将棋研究は、藤井聡太棋士も同様に行っています。現代将棋においてAIの活用は不可欠な要素です。宮田八段は、AI研究の重要性とその本質について次のように解説します。

「今の将棋においてAIは欠かせない存在です。しかし、ただAIを使うだけでは不十分な時代になっています。AIが示す最善手が『なぜ最善なのか』という理由を、自分自身で深く考え抜く必要があります。伊藤には、そのように深く思考し、柔軟に対応できる力が備わっていると私は見ています」

これは、単にAIの答えをなぞるのではなく、その背景にある深いロジックを理解し、自分の将棋に取り入れることの重要性を示しています。伊藤匠棋士のこの思考力こそが、彼を「藤井一強」時代に終止符を打ち、「藤井・伊藤二強時代」を築き上げる原動力となっていると言えるでしょう。

まとめ

伊藤匠二冠が王座戦で藤井聡太六冠を破り、将棋界に新たな「二強時代」の到来を告げたことは、今後の将棋界の展開に大きな影響を与えるでしょう。幼少期からの将棋への情熱、そして恩師の教えと最新技術を融合させた研究姿勢が、現在の伊藤二冠の強さを支えています。両者の熾烈なタイトル争いは、将棋ファンにこれまで以上の興奮と感動をもたらすに違いありません。

参考文献