光浦靖子、50歳からのカナダ料理留学「軍隊のような日々」と「青春マジック」

お笑い芸人の光浦靖子さんが、50歳で単身カナダに渡り、料理カレッジで過ごした日々を綴ったエッセイ『ようやくカレッジに行きまして』(文藝春秋)を発売しました。語学学校での生活とは一変し、「軍隊のようだった」と振り返るほど過酷な環境に身を置いた光浦さん。しかし、その中で彼女が見出した「面白さ」と、自身の内面的な変化について語っています。

50歳からの挑戦:カナダでの料理留学という選択

光浦さんが語学学校を卒業後、料理の専門学校に進んだのは、将来に役立つ技術を身につけたいという強い思いからでした。座学ではなく、実際に身体を動かして技術を習得することを選んだのは、いつかカフェを開きたいという長年の夢があり、それが自身の血肉となると考えたためです。また、カナダでの手芸ワークショップや芸能活動の道を模索する上で、現地で働くためのワークパーミット(労働許可証)取得が大きな目的でした。2年間の厳しい課程を修了すれば、3年間の就労資格が得られるという、明確な目標が彼女を後押ししました。

著書「ようやくカレッジに行きまして」を手に語る光浦靖子さん著書「ようやくカレッジに行きまして」を手に語る光浦靖子さん

「軍隊のよう」なカレッジ生活:言語の壁と過酷な実習

入学してからの学校生活は、想像をはるかに超えるものでした。朝は5時起き、真夜中に出発し、7時から始まる授業に臨む毎日。英語もまだ完璧ではない中、本格的な料理の実習は肉体的にも精神的にも追い込まれる日々でした。「軍隊みたいだった」と表現するほど、厳格なシェフや課題の連続に直面しました。英語が苦手なのは光浦さんだけではなく、インターナショナルクラスの生徒たちは互いに「なんて言った?」と聞き合い、時にシェフを激怒させることもあったといいます。しかし、この過酷な環境が、クラスメイトとの強い絆を生み出しました。皆が同じ苦しみを分かち合う中で、助け合いながら困難を乗り越えていったのです。

光浦靖子さんが手作りしたシェフの似顔絵ブローチ光浦靖子さんが手作りしたシェフの似顔絵ブローチ

困難の中に見出す「面白さ」:お笑い芸人としての視点

辛く厳しい状況の中でも、光浦さんは持ち前のお笑い芸人としての視点で「面白さ」を見出すことを忘れませんでした。人一倍感情表現が豊かだという彼女は、その場で起こる出来事を「これ、面白えな!」と楽しむことが得意だったといいます。学生時代は「目立たない学級委員」タイプだったにもかかわらず、カレッジでは意外にも人気者となり、クラスのムードメーカー的な存在になりました。数年後、同じコースを取った日本人女性から「シェフたちが『ヤスコは元気か?今どうしてる?』って言っていた」と聞かされた時には、大変嬉しかったと語っています。彼女の個性とユーモアは、異国の地での厳しい学びの日々を、忘れられない「青春マジック」に変えたようです。

カナダでの料理留学は、光浦靖子さんにとって単なるスキル習得の場に留まらず、年齢や環境の壁を越え、新たな自分を発見し、困難を乗り越える喜びを知る貴重な経験となりました。この挑戦を通じて得られた経験と成長は、彼女の今後の人生においてかけがえのない財産となることでしょう。