メアリー・ジーン・アオイゼンハワーさん、メリル・アイゼンハワー・アトウォーターさん、ご来賓の皆さま。本日、日米安全保障条約調印60周年の、よき日を迎えました。
メアリーさん、私たちの祖父はゴルフで友情を育てました。1957年の6月、ところはベセスダのバーニング・ツリー・クラブです。
戦争が終わって、まだ12年でした。日本の首相はワシントンまではるばるやってきて、一体どんなゴルフをするのかと、大勢の記者たちはじめ、みな興味津々だったと、のちに祖父は私にそう話しました。
「最初の一打に、日本の名誉がかかっている」。そう思うと、手に汗がにじんだそうであります。ところが、それまでのゴルフ人生で最も緊張して放った一打は「生涯、最高のショットになった」と、祖父は自慢げに私に話していました。
どよめいた観衆は次の瞬間、盛大に拍手をした。「アメリカ人はフェアだ」とも思ったそうであります。
岸信介は、日本の首相としてアメリカの大統領とゴルフをした最初の人物でした。2番目はといいますと…、私でありまして。
私はもう4回、トランプ大統領とゴルフをともにしました。これも日米同盟深化の証拠であろうと、口にはいたしません、心で思っているだけでありますが…、スコアは国家機密にしておく約束になっております。