【日米安保改定60年】安保闘争経験の江田五月氏に聞く「なんとなくの参加。でも別の道、一生懸命考えた」

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江田五月氏

江田五月氏

 東大在学中の昭和35(1960)年に改定された日米安全保障条約に反対する「安保闘争」に参加し、後に参院議長や法相を歴任した江田五月元参院議員(78)が産経新聞の取材に応じ、当時を振り返った。(酒井充、大橋拓史)

 「1年生、しかも田舎から出てきた18歳で、東京の『と』の字も分からない。前年に東大教養学部の駒場寮にたてこもった学生がいたり、デモで逮捕された学生がいたりと、東京はえらいこっちゃな、と。田舎でも安保が聞こえてないわけじゃないけど、やっぱり全然違いましたね」

 《岡山県出身の江田氏は、すでに日米安保条約改定への反対運動が巻き起こっていた35年4月、東大に入学した》

 「クラスで自治会の役員を2人選ぶことになった。おもしろそうだからと手を挙げたら選ばれた。各クラスの自治委員で構成する自治委員会というのがあって、安保の議論ばっかりやっていた。決議をしていろんなデモをやったり。そこで巻き込まれるといえば巻き込まれるわけだけど。まあ、なんとなくですよね」

 《江田氏の父は社会党書記長を経験した江田三郎氏で、当時衆院議員だった》

 「父が国会議員だから、僕も関心がないわけじゃない。『極東の範囲』とかのいろんな議論があったけど、僕らせいぜい新聞で議論の上っ面だけを追っていたような状況だったと思います」

 《入学間もない4月26日、大規模な抗議行動に参加した》

 「国会の参院側の道路でのデモに行ったら、目の前に機動隊が装甲車を並べて通さないようにして。『よし、あれを乗り越えろ』となり、僕もその中にいて、わしゃわしゃやっていた」

 「5月19日に強行採決が衆院で行われた。条約なので1カ月何もなくても自然成立(承認)だ。大変焦った。自然成立を防ぐ方法は国会の解散しかない(=衆院が解散すれば自然承認前に国会が閉会し、審議未了となる)。だから、とにかく安保反対、国会解散と5月下旬からずっと盛り上がっていった」

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