【韓国】 高句麗広開土大王の水軍、70%以上の確率で対馬上陸~仁荷大教授「これで韓日は和解できる」[02/04]
▲広開土大王水軍対馬上陸を主張したナム・チャンヒ仁荷(インハ)大政治外交学科教授
仁荷(インハ)大は韓日葛藤をそそのかす日本右翼勢力の歪曲された歴史観を無力化する重大学説を政治外交学科ナム・チャンヒ教授が提示したと発表した。広開土大王の水軍が対馬に上陸した可能性が70%以上という政治-軍事シミュレーションゲーム(PolMil game)の結果を公開した。
研究結果は『韓日関係2千年-和解の糸口』という本を通じてすでに学界に報告されている。高句麗水軍渡海作戦の歴史的事実が明らかになれば、韓日関係で癌になっている様な要素も同時に除けるとナム教授は主張する。
壬辰倭乱から1910年韓国強勢占領まで日本の韓半島侵奪の思想的根拠は古代歴史書『日本書紀』の任那日本府説だったという。伝説の神功皇后が新羅を征伐して古代4世紀末から200年間設置したという任那日本府は韓半島侵略の名分になった。古代に日本の影響圏下にあったので1910年強制併合は本来の状態に戻ったに過ぎないというのが朝鮮総督府植民史観の核心論理であった。
満州集安市の好太王碑渡海遠征の文面も日本軍参謀本部が恣意的に解釈したという容疑が絶えなかった。400年前後に高句麗水軍が対馬の倭軍前進基地を攻撃したとすれば論理的に慶尚道(キョンサンド)に任那日本府は立つ場所がなくなる。軍事強国高句麗がかまえる韓半島に日本勢力が割り込む余地がないからだ。
このように任那日本府説と広開土大王水軍の対馬上陸説は両立できない競合学説という。
ナム教授が提示した高句麗水軍渡海説の根拠は三つだ。最初に、好太王碑に400年新羅を困らせ、背を向けて後退する倭軍を高句麗軍が任那加羅まで追撃したという内容が出てくる。『日本書紀』崇神天皇65年条に任那加羅の位置を示す明確な記録が出てくる。福岡から北側の海2千里に任那があるという。
中国史書『三国志』魏志東夷伝に福岡から海路2千里に対馬があるとある。中国と日本の資料を総合すれば任那加羅は対馬を意味する。
また『日本書紀』に任那の北側は海で阻まれているという記録もある。任那は韓半島の地名ではなく大韓海峡の島という事だ。さらに任那は慶州から航路で西南方向であるが、古代に対馬に行く港である巨済島(コジェド)は慶州と見る時、西南方向が合う。
(2番目と3番目は>>2-5あたり)
今回の研究結果が日本学界に紹介されれば悪化の一途の韓日関係を復元する契機になるだろうと学界は展望する。徴用工賠償問題で輸出規制という無理を強いた安倍政権の背後に右翼団体日本会議があることは良く知られている。同団体の韓半島に対する時代錯誤的な優越意識の根元には『日本書紀』の任那日本府説がかくれている。
古代韓国が卑屈に朝貢を捧げる諸侯国という歪曲された歴史認識は日本政界の誤った韓国観と不可分の関係という。歴史歪曲の出発点を訂正することが退行的な日本の右翼勢力復活を遮断する特効薬になるという診断だ。
ナム教授は任那日本府説だけ除去されれば韓日両国は本当に和解できる基礎ができると話す。さらに進んで北朝鮮核問題を含めて両国が協力しながら東北アジア平和繁栄の主役になることができる潜在力を生かすことができると指摘する。
ソース:教授新聞(韓国語) 仁荷(インハ)大、ナム・チャンヒ教授広開土大王水軍対馬上陸主張
https://www.kyosu.net/news/articleView.html?idxno=47687