北朝鮮による拉致被害者、有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなった。94歳だった。病床でも「もう、あかん。命が尽きてしまう。その前に恵子を救いたい」と訴えていたという。
願いは、かなわなかった。二人三脚で拉致被害者の救出運動を続けてきた夫の明弘さんは「涙は出るけど言葉が出えへん」と話した。どれだけ無念だったろう。
安倍晋三首相は「何とか元気なうちに恵子さんを取り戻すことができなかったことは誠に痛恨の極みだ」と述べた。
嘉代子さんらは娘の救出に向けて、安倍首相とトランプ米大統領の手腕を信じていた。政府には、この信頼に応える責務がある。
拉致事件の解決を政権の「最優先、最重要課題」と繰り返してきたのは、ただのうたい文句ではあるまい。あらゆる手段を講じて被害者の帰国を実現すべく、決意を新たにしてほしい。
恵子さんは昭和58年、英国に留学中に消息を絶った。63年には北朝鮮にいるとの内容の手紙が届いたが、外務省や政治家は動いてくれなかった。平成14年、日航機「よど号」乗っ取り犯の元妻が恵子さんの拉致に関わったことを証言し、ようやく拉致被害者として認定された。
北朝鮮は同年、恵子さんの拉致を認め、「すでに死亡した」と伝えてきた。だが死亡情報に根拠はなく、嘉代子さんらは娘の生存を信じて救出活動を続けてきた。
嘉代子さんの死去により、拉致被害者の親は明弘さんと、横田めぐみさんの両親の3人のみとなってしまった。
めぐみさんの母、早紀江さんは4日付の本紙連載「めぐみへの手紙」で「すべての家族が老い、病み、疲れ果てながら、それでも、被害者に祖国の土を踏ませ、抱き合いたいと願い、命の炎を燃やしているのです」と書いた。
そして、政治家や官僚に向けて「私たちはテレビで、のどかにさえ見える方々の姿を、見つめ続けています。皆さまには、拉致の残酷な現実をもっと、直視していただきたいのです」と訴えた。
耳や心が、痛まないか。もっと真剣に拉致問題に取り組んでほしいと、すべての政治家、官僚に訴えかけているのだ。それが早紀江さんの祈りであり、嘉代子さんの願いでもある。拉致被害者の救出へ、全力を尽くせ。