チョ・グク問題が映し出す韓国社会の不平等:若者の「剥奪感」と既得権益

韓国の元法務部長官チョ・グク氏を巡る一連の騒動は、単なる政治的論争に留まらず、韓国社会が抱える根深い不平等、特に教育機会における格差と若者層の「剥奪感」を浮き彫りにしました。この問題は、能力主義という建前の裏に隠された「特別な機会」の存在を多くの人々に突きつけ、社会の公正性に対する不信感を増幅させています。特に、若者の怒りの本質を理解せず、既成世代がこれを矮小化しようとする姿勢は、さらなる分断を生み出しています。

「勉強ができる者だけの怒り」という誤解

2019年末、チョ・グク氏が法務部長官を辞任した直後、ある与党政治家は会食の席で「チョ・グク糾弾ろうそく集会を初めて実行したのは高麗大とソウル大だ。勉強ができる人同士が『公正じゃない』と言っているだけで、学歴が良くない人は剥奪感も抱かない」と語りました。同席していた90年代生まれの記者たちが若者の怒りを語ると、その政治家は私たち出身大学を尋ね、そう続けたのです。この発言は、若者の怒りが「能力主義」という狭い枠に限定され、一部のエリート層の不満に過ぎないと決めつけるものでした。筆者自身も自身の怒りがそのような見方から来ているのではないかと内省し、すぐには反論できませんでした。

2024年光復節を前に、ソウル拘置所へ収監されるチョ・グク前祖国革新党代表と支持者。韓国社会の分断を象徴する教育不平等の核心人物としての彼に、国民の関心が集まる。2024年光復節を前に、ソウル拘置所へ収監されるチョ・グク前祖国革新党代表と支持者。韓国社会の分断を象徴する教育不平等の核心人物としての彼に、国民の関心が集まる。

筆者もチョ元長官の子息と同様に外国語高校を卒業しましたが、その経験は大きく異なります。筆者が通っていたのは年間の授業料が約7万円の京畿道の公立外国語高校でした。ソウルの私立外国語高校の学費が年間約74万5千ウォンと知らず、経済的な理由から公立を選びました。毎月約6,700円の寮費で生活し、私教育はインターネット講義のみという環境で、剥奪感を感じることはほとんどありませんでした。大学受験の修能が唯一の頼みの綱であり、教師からは「内申は1等に譲り、一般入試にすべてを賭けろ」と指導されました。この恵まれた環境に感謝しつつも、自らが得た機会が他の誰かにとっては手の届かないものだという自覚は常にありました。

隠されていた「特別な機会」への衝撃

しかし、2019年8月、筆者と同い年でソウルの私立外国語高校出身のチョ・ミン氏(チョ・グク元法相の娘)の大学入試を巡る報道を目の当たりにした時、筆者は大きな衝撃を受けました。事実上、「外国語高校の優待選考」が存在すること、そして高校生が著者として論文に名を連ねるようなことがあるという事実を初めて知ったのです。この問題について、当時の与党議員が「普遍的機会」と語ったり、「ある程度の地位を有する人々に開かれている機会」と訂正する発言を聞いた時の心境は、今でも鮮明に思い出されます。

収監直前のチョ・グク元法務部長官。彼の大学入試を巡る疑惑は、若者層に深い剥奪感を与え、韓国の学歴社会と既得権益問題への不信感を募らせた。収監直前のチョ・グク元法務部長官。彼の大学入試を巡る疑惑は、若者層に深い剥奪感を与え、韓国の学歴社会と既得権益問題への不信感を募らせた。

「外国語高校生はみな同じ外国語高校生」だと思っていた自身の純真さが恥ずかしく、自分の大したことない機会に謙遜していたことが虚しく、そして何よりも、門戸があることすら知らなかったところで、ある人にはその門戸が大きく開かれていたことに、言いようのない怒りがこみ上げました。この感情は、単なる個人的な不満ではなく、社会の構造的な不公正に対する根源的な怒りでした。

若者の怒りを矮小化する既成世代の矛盾

さらに筆者が憤りを感じたのは、若者の怒りにすら罪悪感を抱かせようとする既成世代の姿勢です。「怒りも勉強のできる子だけが抱けたって?」という発言は、怒ることさえできずに諦めてしまった多くの若者たちの存在を完全に無視しています。このような発言をする者が、あたかも若者の味方であるかのように振る舞うことには強い反発を覚えます。若者たちが望まずして「地位のある人々」の世界、すなわち既得権益の存在を目の当たりにしてしまったという事実は、決して変わることはありません。

加えて、チョ元長官を被害者として擁護する与党陣営のオピニオンリーダーたちの姿勢も、若者たちの目には「もう一つの既得権益」と映ります。メディアや検察権力に劣らず、彼を擁護する各界各層の人々の言動は、社会資本の圧倒的な威力を示し、悔しさや不条理を感じても、結局は「コネ」があって初めて救済されるという現実を突きつけます。このような状況は、若者たちの社会に対する不信感を一層深めるばかりです。

赦免後の振る舞いと大人の責任

チョ・グク元長官の赦免後、すべてが解決されたかのように振る舞う彼らの態度に、筆者は強く訴えたいことがあります。チョ元長官が検察改革の犠牲者であるという主張は、何度でも繰り返せば良いでしょう。しかし、「(祖国革新党に対する若者の拒否感は)大学入試に埋没してきた教育の歪んだ自画像」というような、若者たちの気持ちを勝手に決めつけ、裁断する発言は控えてほしいのです。「小川の龍(トンビが鷹を生む)神話」を批判する前に、自ら小川に降りてきて「ザリガニ」となるような、謙虚な手本を示してほしいと願っています。

本当に「恥を知る大人」が増えて初めて、若者たちは「チョ・グク事態」が残した心の傷について、自らの言葉で語り、そしてそれを解釈できるようになるでしょう。この問題は、個人の責任に帰結するものではなく、韓国社会全体が向き合うべき、構造的な不平等の象徴であり、未来を担う若者たちの信頼を取り戻すための課題を突きつけています。


参考文献

  • チョン・ヨンイル先任記者 (2023年12月16日). 「祖国革新党のチョ・グク前代表が昨年12月16日、京畿道義王のソウル拘置所に収監される直前に、支持者と手を取り合っている。」 [画像]. ハンギョレ.
  • 李 宇瑛 (イ・ウヨン) (2025年8月15日). 「チョ・グク氏擁護をもう一つの既得権益と見る若者たち」 ハンギョレ. [掲載元記事]. 掲載情報: news.yahoo.co.jp.