【評伝】エジプトのムバラク元大統領死去 独裁30年、権力に執着した「ファラオ」





2011年2月10日、大統領を辞任する直前に演説するムバラク氏(ロイター)

 2011年に民衆デモで退陣に追い込まれたエジプトのホスニ・ムバラク元大統領について「周囲が見えない老いた裸の王様」と書いたことがある。その元大統領が25日、死去した。

 一度だけ、間近で取材したことがある。10年にエジプトで開かれた中東和平会議の場だった。すでに年齢は82歳を達し、健康不安説もあった。顔色をごまかすために厚塗りした化粧が、権力への執着の強さを物語っていた。

 当時から人々は、古代エジプトの王になぞらえ、ムバラク氏を陰で「ファラオ」と呼んでいた。中東に広がるイスラムやキリスト、ユダヤの一神教では、ファラオには「悪辣」「残忍」といったニュアンスが含まれる。

 功績は決して小さくない。イスラム過激派によるテロが頻発した1980~90年代には、強引な取り締まりで治安を安定させた。2000年以降は、徐々にながらも経済の自由化を進め、一定の成長を実現した。

 一方で腐敗が蔓延し、政権に連なる有力者や軍・治安機関が利権を握り続けた。貧富の差が広がり、特に失業問題が深刻な若者の閉塞感は強かった。選挙は形ばかりで、自由に政治的意見を表明する機会はほとんどなかった。

 そうしたことへの怒りが一気に噴出したのが、いわゆる「アラブの春」の流れの中で11年1月に始まった反政府デモだった。退陣までの18日間、何度かテレビ演説したムバラク氏は、自らの正当性を繰り返した。どんな形であれ「悪人」として扱われるなど信じられなかったに違いない。

 エジプトを代表する映画監督、ユースフ・シャヒーン氏に、イスラム支配下にあった中世スペイン(アンダルシア)を舞台にした「炎のアンダルシア」(1997年)という大作がある。印象的なのは、カリフ(君主)が「私こそアンダルシアだ!」と叫んで自らを諫める者を退けるシーンだ。

 権威主義体制に常に批判的だったシャヒーン氏が、カリフに誰を重ねていたかは明白だ。約30年にわたって国を統治したムバラク氏の自負も「私こそエジプトだ!」だったろう。その姿勢は結局、社会不安と自身の破滅を招いた。

 同国は「ムバラク後」も不安定な状況が続いた。イスラム原理主義組織ムスリム同胞団が主導したモルシー政権の誕生とそれに対するクーデターを経て、現在はムバラク氏と同じ軍出身のシーシー大統領が政権を握る。

 政治経験が浅いシーシー氏は、軍への利権配分を厚くすることでその忠誠を維持している。民間の活力が奪われ、「ムバラク時代よりも社会矛盾が増大した」とみる向きも多い。ファラオが残した教訓は、生かされないままだ。(前中東支局長 大内清)



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