震災発生時刻に黙祷「ここに来るたび思い出す」福島・浪江の請戸地区

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津波で甚大な被害を受けた請戸地区の霊園で父親の墓参をする浦島博之さん夫妻=11日、福島県浪江町(芹沢伸生撮影)

津波で甚大な被害を受けた請戸地区の霊園で父親の墓参をする浦島博之さん夫妻=11日、福島県浪江町(芹沢伸生撮影)
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 東日本大震災から9年を迎えた11日、福島県浪江町の請戸地区にある慰霊碑と霊園には、朝から遺族や関係者らが訪れた。震災発生時刻の午後2時46分には、防災無線のサイレンが約1分間鳴り響く中、黙祷(もくとう)がささげられた。

 この日は時折、突風が吹きつけたが、慰霊に訪れる人が絶えることはなかった。新型コロナウイルス対策で学校が臨時休校のため、墓参した児童生徒もいた。

 震災発生当時は請戸地区に自宅があり現在、茨城県北茨城市に住む浦島博之さん(55)=電気工事業=は父、洽(ひろし)さん=当時(73)=を津波で失った。「震災の時、両親は自宅にいて父だけ逃げなかった。あんな津波がくるとは思わなかったのだろう。自分も家にいたら同じだった」と話す。

 「母と妻の3人で暮らしているが、ここに戻っても何もなくて生活できない。友人もいなくなった」と、更地になった古里を見つめ「でも45年くらい住んだ場所だから懐かしい」と、つぶやいた。

 発生時刻、海に向かって黙祷した西郷村の志賀隆貞さん(70)は「請戸の知り合いが10人以上亡くなった。自分は双葉町で被災し、自宅は津波で流された。避難場所は10回以上変わったが、(4日の)双葉町の避難指示一部解除で勇気をもらった」といい「できれば双葉町に帰りたい」と願っている。

 南相馬市の渡辺進さん(80)は「請戸に住んでいた娘婿の両親が行方不明のまま。ここに来るたびに当時のことを思い出す」と話していた。

 浪江町では津波で町の面積の約3%にあたる約6平方キロが浸水。請戸地区の犠牲者は127人にのぼり、今も27人が行方不明になっている。地震の後、東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされ、捜索や救助活動は断念せざるを得なかった。

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