【政治デスクノート】幻の「松下新党」 松下幸之助氏の元側近、江口克彦元参院議員が明かす 





20年以上にわたって仕えた松下幸之助氏について語る江口克彦氏=3月30日午後、東京都港区(峯匡孝撮影)

 パナソニック創業者、松下幸之助(明治27年11月~平成元年4月)。没後30年を過ぎても「経営の神様」とあがめられるが、その松下にも思い残すことがあったという。20年以上にわたって松下に側近として仕えた元PHP総合研究所社長、江口克彦(80)はこう語る。「『松下電器』の将来。『松下政経塾』はものになってくれるか。『政党』をつくれなかったのは残念だった。この3つは心残りとしてあったと思うんですよ」。

 3月末、都内の事務所で取材に応じた江口は、自身が書き留めたノートをめくりながら、松下と過ごした日々を振り返った。

 松下と政治のかかわりは深い。その表れの一つが70億円の私財を投じて設立した「松下政経塾」だ。その政経塾も昭和55年の開塾から40年を迎えた。

 松下には「政経塾をつくって、毎月なり、極端に言えば、泊まり込みでも塾生と膝を突き合わせて話をしていくんだと、自分の考え方を教えていくんだという思いがあった」(江口)。教えたかった自分の考え方とは「自分が考えて考えて考え抜いた根本哲学」(同)である「人間観」のことだ。

 その教えを受けた塾生たちが日本の政治を担っていく将来に、自身の私財をつぎ込んだ。

 江口は松下の思いをこう語る。「人間というものから出発する、国民から出発する、あるいは人類から出発する政治というものを考えないといけない。決して自分から出発するとか、そういうものではない。あるいはお金から出発するというようなものでもない。塾生たちは人間第一、あるいは国民第一、これが根本理念でないといけない」。

 だが、松下はすでに85歳になっていた。体力的にも衰えていた。江口は「政経塾をつくった時期が遅すぎた。十分に自分の考え方を塾生に伝えることはできなかった。松下幸之助さんの失敗の中の一つに入るでしょうね」と話す。

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