JR福知山線脱線15年 空色の栞に込めた思い

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福田裕子さんがイラストを手がけた空色の栞
福田裕子さんがイラストを手がけた空色の栞
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 乗客106人が犠牲となった平成17年のJR福知山線脱線事故で、1両目に乗車して重傷を負った福田裕子さん(36)=兵庫県宝塚市=は、再発防止を願う「空色の栞(しおり)」のデザインを手がけて10年となる。節目となる今年は澄み渡った空と海に向かい、誰かが踏み出す足跡を砂浜に描いた。「イメージしたのは旅。事故からそれぞれが歩いてきた道」。しおりの小さな挿絵の中に、あの日から15年という時の経過を表現した。(藤木祥平)

 しおりは、事故の負傷者と家族らでつくる「空色の会」が発行。事故当時、大阪芸術大で日本画を専攻していた福田さんは、23年に同会から依頼を受け、毎年イラストを制作している。「5年で一区切りになるようにテーマを設定している」と福田さん。今年は28年から続く「塔」を題材にした作品の最後を飾るものとなった。

 視点はレンガ積みの塔の内部から、割れ目を通して外に向かう。群青の空には1羽の鳥が羽ばたき、それより淡い色の海に、水しぶきとともに海面に浮上するクジラの姿を描いた。

 「急いでるんちゃう?」。17年4月25日。電車の異常な速度に、たまたま乗り合わせた友人とそんな言葉を交わした直後、轟音(ごうおん)とともに事故が起きた。

 衝撃で2人を含む乗客の体は宙を舞い、車両が回転した。全てが一瞬の出来事だったが「まるでスローモーションのように感じた」と福田さんは振り返る。

 意識が回復したときは身動きがとれず、周囲には油の臭いが充満。「ここで死ぬんや」という考えが頭をよぎった。

 事故後しばらく、車両内の光景が脳裏に浮かび、好きだった人物画を描けなくなった。転機が、空色の会のしおりだった。「プレッシャーはあったが、自分ができることで少しでもお手伝いができるなら」と引き受けた。そして青空をバックに白い鳥に導かれる少年をイラストにした。事故後、人物を苦しまずに描けたのはこれが初めてだったという。


「空色の栞」のイラストを手がけた福田裕子さん=兵庫県宝塚市
「空色の栞」のイラストを手がけた福田裕子さん=兵庫県宝塚市
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 28年からの一連の作品は遠くから塔を臨む構図だったが、今年は塔の中から外へと、視点を逆転させた。「事故後、だれもが同じ方向を向いているようで、遺族も負傷者も、それぞれがいろんなできごとを経験しながら過ごしてきた。各自が今まで歩いてきた道を旅になぞらえた」。依頼があればまた来年から、新たなテーマで絵筆をとるつもりだ。

 しおりは計約4千枚が用意され、25日までJR尼崎駅や宝塚駅などの改札付近に置いて配布している。

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