新型コロナウイルスの感染拡大という国難に見舞われているさなか現憲法は施行73年を迎えた。
新型ウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、思いもよらない大きな災厄が日本全域を突然襲うことがある、という厳しい現実を知らしめた。
危機を乗り越えられる憲法になっていないことを痛感する。不断の見直しを図り、必要なら改正をためらってはならない。ウイルス禍に直面した国民の間で憲法に緊急事態条項を備えることへの関心が増したのは当然のことだ。
≪首相は論議を主導せよ≫
安倍晋三首相(自民党総裁)は4月7日、緊急事態宣言をめぐる国会審議で、憲法に緊急事態条項を設けることに前向きな考えを示した。自衛隊明記とともに緊急事態条項についても論議をリードしていくべきである。
国民に最大限の自由や権利を認め、いつも通りの丁寧な手続きで法律を作り、政府や自治体の行動を決める平時の体制のまま、有事や内乱、大災害といった深刻な緊急事態を乗り切ろうとすると、かえって国民の被害が増し、事態の収拾が遅れることがある。
このような場合には、一時的に政府に権限を集めて対応した方がうまくいく。そこで世界のほとんどの国が憲法に緊急事態条項を設け、行政府の長である大統領や首相に権力を集中する仕組みを用意している。国連で採択された国際人権規約(B規約)も認めていることだ。政府に、法律と同じ効力を持つ緊急政令の制定や緊急の財政支出、自治体への指示権を与えることが多い。
緊急事態条項には宣言の期間を区切ったり、確実に終了させたりする規定があるのが普通だ。宣言中の緊急の政令や財政支出は国会の事後承認が得られなければ無効となる。政府の強権化が目的ではなく、国民の生命と財産、経済社会を守り、憲法秩序を保つための備えといえる。
だがこの条項が日本国憲法には欠けている。衆院解散中の参院緊急集会の規定はあるが、政府の能力を高めるものではない。
一方、現憲法の下でも緊急事態に対処する法律は存在する。
新型インフルエンザ等対策特別措置法や災害対策基本法、原子力災害対策特措法、警察法に緊急事態の規定がある。武力攻撃事態では国民保護法などに基づき自衛隊などの権限が拡大する。日本には今、ウイルス禍への緊急宣言と、福島第1原発事故に伴う原子力緊急事態宣言の2つが発令中だ。
これら特措法上の宣言は、多くの国が持つ憲法上の緊急事態宣言とは似て非なるものだ。政府の権限が弱すぎて思い切った政策を打ち出せない。災対法上の緊急事態であれば限られた範囲で緊急政令だけは可能だが、東日本大震災ですら宣言は出されなかった。
≪審議拒否の野党反省を≫
明治憲法には戒厳令や、今の政令にあたる緊急勅令を出す緊急事態条項があったが、用いられたのは関東大震災などの短期間に限られる。先の大戦中でも帝国議会は機能し、法律を審議したり予算を決めたりしていた。
もし現憲法に緊急事態条項があっても、今回のウイルス禍にすぐさま適用すべきかといえば議論は分かれるところだろう。
それでも憲法には緊急事態条項が必要だ。前もって法律で具体的に準備しきれないような広範かつ甚大な災害への備えだからである。たとえば自治体の機能が広域で壊滅しかねない南海トラフ巨大地震や首都直下地震、核攻撃を含む大規模な日本有事だ。ウイルス禍の収拾に失敗し国会が開会できないような深刻な事態になれば、それも当たるだろう。
憲法論議にまず必要なのは、日本が想定外の危機に見舞われるかもしれないという想像力を広げ、備えようとする真摯(しんし)な姿勢だ。立憲民主党など一部野党が「不要ではないが不急だ」といって国会の憲法審査会の審議に応じていないのは無責任極まる。憲法審がウイルス禍に全力対処することを妨げるというのは間違っている。
感染拡大を防ぎつつ立法府の機能を保とうとオンライン議会に取り組む国もある。だが日本は憲法第56条に「総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」とあるため踏み切れない。ウイルス禍と科学技術の発達に対応できない点からも憲法改正が必要である。