旧民社党委員長を務めた元衆院議員の塚本三郎(つかもと・さぶろう)氏が20日午前、老衰のため名古屋市内の自宅で死去した。93歳。葬儀・告別式は22日に近親者で行った。喪主は長男、剛(つよし)氏。
中央大法学部を卒業後、家具製造卸業などを経て昭和33年、衆院選で旧愛知2区に旧社会党から出馬して初当選。35年の民主社会党(後の民社党)結成に参加した。2回の落選を挟み衆院当選は計10回。党副書記局長を経て49年に党書記長に就任し、60年から委員長。平成元年、リクルートコスモス株譲渡への関与をめぐって委員長を引責辞任し、常任顧問となった。5年に落選。6年の民社党解党後、新進党に参加せず、自民党に入党した。9年、勲一等旭日大綬章を受章。12年衆院選への出馬断念で政界を引退した。
「民社党のドン」と呼ばれた故春日一幸委員長の“秘蔵っ子”といわれ、地味な実務家タイプとして知られ、自民党との連携を重視する現実路線を主導した。