湾岸危機30年 中東混迷は世界に広まった



米中枢同時テロで爆発炎上するニューヨークの世界貿易センタービル=2001年9月11日(ロイター)
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 1990年8月2日、イラクのフセイン政権が隣国クウェートに侵攻し、翌年の湾岸戦争に至る危機をつくり出した。東西冷戦から「米国1強」時代への変わり目で起きた事件から30年。世界有数の産油地帯という地政学的重要性を有する半面、世界の不安定要因でもあり続ける中東の情勢は、この間にどう変化したのか。日本の外交・安保政策にとっての意味とは。多角的に検証する。

□冷戦後、米国1強の時代に

■「世界の警察官」が仕切る

 湾岸危機と湾岸戦争は、東西冷戦後の世界に「米国1強」時代の到来を告げた。湾岸危機が起きた1990年はソ連崩壊の前年。ソ連が国内への対処に追われる中、米国は、国際秩序を回復する“警察官”の役割を果たした。

 中東有数の産油国イラクは当時、世界的な原油価格の下落に苦しんでいた。88年まで約8年続いたイラン・イラク戦争で国庫が逼迫(ひっぱく)していたからだ。


湾岸戦争でイラクに向け米戦艦から発射される巡航ミサイル。この戦争で核抑止への信仰が強まった=1991年1月(AP)
湾岸戦争でイラクに向け米戦艦から発射される巡航ミサイル。この戦争で核抑止への信仰が強まった=1991年1月(AP)
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 このため当時のフセイン政権は、小国ながら豊富な石油資源を持つ隣国クウェートに債務の帳消しなどを求め圧迫。90年8月2日にとうとう軍事侵攻に踏み切り、同国の併合を図った。これが湾岸危機だ。

 フセイン大統領は、日本人を含む人質を「人間の盾」として事態を膠着(こうちゃく)させ、併合の既成事実化を狙った。中東の覇権を確立する野心があったとされる。

 しかし、初代ブッシュ(父)米政権をはじめとする国際社会は、一方的な国境の変更や原油市場の混乱につながる行為を座視しなかった。国連安全保障理事会は、イラクへの経済制裁や武力行使を認める決議を相次いで採択。91年1月、米中心の多国籍軍による攻撃で湾岸戦争が始まった。


2003年4月、イラク南部有数の油田地帯ルメイラで燃え上がる油井を警備する米兵。イラク戦争の初期に、後退するイラク軍が火を放ったと伝えられた(AP)
2003年4月、イラク南部有数の油田地帯ルメイラで燃え上がる油井を警備する米兵。イラク戦争の初期に、後退するイラク軍が火を放ったと伝えられた(AP)
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 イラクは、この戦争をパレスチナ問題と結びつけることで国際世論の分断を狙ったが、米国の指導力は揺るがなかった。

 湾岸戦争は、初めてテレビで生中継された戦争でもあった。次々と映し出される巡航ミサイルなどの最新兵器が、米国の圧倒的な軍事力を世界に印象付けた。

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