「彼らは中国人のせいにするのです」 米国で再燃するアジア人差別

ニューヨーク、チャイナタウン中心部の交差点には、毎週3回、ハッシュタグ「#Chinatownblockwatch(チャイナタウン・ブロック・ウォッチ)」の文字が記されたオレンジ色のポロシャツを着た人々が集まってくる。

ボランティアで集まった彼らは、それから2時間かけて、中国系のパン屋や餃子屋が並ぶ曲がりくねった通りをくまなく歩いたり、路地を覗き込んだりして、周囲に自分たちの存在を知らしめる。

伝えているのは、「わたしたちは見ているぞ」というシンプルなメッセージだ。

活動のきっかけは2020年1月、COVID-19のニュースが渦巻く中、カーリン・チャンさんの耳に、チャイナタウンの住民が嫌がらせを受けているという噂が入り始めたこと。ほどなく多くの店が閉店し、通りはかつてないほど静かになった。

犯罪被害者を守るための活動をしているチャンさんは、ニューヨーク育ちで、路上での立ち回り方を熟知している。「わたしは『一歩も引かない』という方針を厳格に守っています」と彼は言う。チャンさんはパトロールを始めた。ソーシャルメディアにその様子を投稿すると、数人の友人たちが加わった。それから、何十人もの人たちがやってくるようになった。

ハラスメント事件は報告されている以上に起きていると、チャンさんは考えている。移民の多くは、犯罪を通報する方法を知らなかったり、言葉の壁に悩まされたりしている。中には、法執行機関には見つかりたくないと考える者もいる。

「中国人の排除はこれまでも公式、非公式にかかわらず行われてきましたが、今回のパンデミックが議論を再燃させました」とチャンさんは言う。「だれかのせいにしてやろうと考える人たちは、中国人のせいにするのです」

「わたしたちは、(彼らにとって)受け入れてやってもいい存在ではあっても、決して本当に受け入れられることはありません」

チャンさんが率いるオレンジ色のシャツを着たボランティアを見ていると、近隣の人同士で危険に目を配らなければならなかった時代が思い出される。1980年代には、犯罪撲滅のために活動する「ガーディアン・エンジェルズ」という自警団が、ニューヨークの地下鉄や、特に危険な地域をパトロールしていた。チャンさんは今後もパトロールを継続し、これをチャイナタウンの恒常的な制度にしようと考えている。

「COVIDによる経済的な影響がはっきりと見え始めたら、そのときにこそ嫌がらせは増えるでしょう」とチャンさんは言う。「不満は怒りに変わり、人々はわたしたちに怒りをぶつけるのです」

不気味なほど馴染みのある構造
米国は、自らのアジア人差別の歴史をなかなか認めようとしてこなかった。1988年、ロナルド・レーガン大統領は日系人強制収容所の生存者に謝罪し、彼らに賠償金を支払った。2018年には、強制収容を可能にした最高裁判決が覆され、カリフォルニア州は今年初め、州が果たした役割について謝罪した。2011年には、米国上院が中国人排斥法について正式に謝罪し、翌年には下院もそれに続いた。

しかしながら、その歴史の全容が公立学校の教育で取り上げられることはほとんどない。南カリフォルニア大学の米国研究及び民族学助教授エイドリアン・デ・レオン氏は言う。「問題の一部は、そうしたことが米国で起こるはずがないと言う人々にあります。それ以外の人たち、つまり自分の所属するコミュニティが被害にあってきた人たちには、事件が起こる様が想像できます。これは歴史に対する無知の大量生産であり、排外主義、人種差別、現代の暴力を助長しています」

現在の米国の政治から聞こえてくる人種差別的な決まり文句は、100年前と変わらないと、デ・レオン氏は言う。中国人排斥法が制定される以前、新聞や政治家たちは、中国人居住区の衛生状態の悪さを指摘し、新たな移民が米国の都市に押し寄せてくるとの表現を使っていた。

そうした言葉は排斥を正当化するために積極的に取り入れられたが、移民が暮らす地域の生活状況は、多くの場合、政府によるサービスの欠如が原因だった。「そうした白人の活動家たちは、中国人の体の不潔さを非難し、これは国家に対する脅威だと言うのです」

排外的な政策や暴力は、台頭する外国への脅威に根ざしている場合が多いと、デ・レオン氏は言う。第二次大戦前、米国は太平洋地域における自国の利益が危険にさらされていると考えていた。政治的に「米国がアジアの大国の台頭を脅威とみなせば、その態度は、彼らと同じ民族の系譜を持つ人々にも向けられます」

現在起きている出来事は、不気味なほど馴染みのある構造をたどっていると、デ・レオン氏は言う。

「歴史の意義は、過去の過ちから学ぶことにあります。しかし、今日わたしたちが目にしているのは、米国が19世紀、20世紀を通して培ったものと同じ歴史的プロセスが繰り返される様子です」

母国に拒否されて
ペットボトルを投げつけられたワシントン州のダニー・サトウさんは、2週間、自宅を離れなかった。

「祖父母が経験したことに比べて、自分の経験はあまりにも小さなものだったので、泣いて逃げ帰ったことをとても恥ずかしく思いました」と、ダニーさんは言う。「自分はそれを乗り越え、くじけずに強くあらねばならないと感じました」

事件についてはもう話したくないと感じていたダニーさんだが、友人たちは彼女に、フェイスブックにその経験を投稿するよう勧めた。「feeling worried(不安を感じている)」というタグを付けて、サトウさんは件の出来事について説明し、次のように書いた。

「ネット上で、また現実の生活において標的にされている人たちのために立ち上がってください。攻撃を受けているときに行動に出るのは難しい場合もあります。わたしたち全員が安全でいられるよう、手を貸してください」。ダニーさんは、AAPIにも事件の詳細を提出した。

パンデミックが起こる前、ダニーさんは数週間に1度、ワシントン州南部の老人ホームにいる祖父母を訪ねていた。しかし事件当時、同州は封鎖されていた。事件が起こったのは復活祭の日で、祖父の誕生日でもあった。ダニーさんは、何が起きたのかを祖父母に話すべきかどうか悩んだ。2人を動揺させてしまうかもしれないし、戦時中の苦難に比べれば、些細なことだと思われるかもしれない。ダニーさんは結局、何も言わないことに決めた。

ダニーさんの家族は4世代に渡って米国で暮らしてきた。そのうち3世代は、米国人として成長した。ダニーさんの祖父母が、出自を理由に自分たちを罰する国と闘った日々から80年近くが過ぎた。ダニーさんは、祖父がオレゴン州の家を出て米国のために戦争へ行き、家族が強制収容所に送られたときのことを考える。「祖父たちは自らを米国人だと思っていました」とダニーさんは言う。「しかし、彼らは自分たちのことを敵と見なす人々と一緒に戦っていたのです」

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