兵庫県丹波篠山市は、国内有数の高級マツタケの産地でもある。マツタケが生える山は「マツタケ山」と呼ばれ、同市では採取時期の9月半ばから11月半ばまで入山禁止となり、山に立ち入れるのは所有者か入山権を持つ人に限られる。「大切に守られている」と思いきや、近年鹿による食害が深刻だと聞いた。現状を知りたいと10月中旬、市内の山の入山権を持ちマツタケを採っている男性(62)に同行取材した。そこで目にしたのは、閑静な山の中とは思えない物々しい光景だった。【幸長由子】
記者は、男性のグループ3人と一緒に入山した。マツタケを入れる竹のかごを背負った男性らを追い、細い木々や岩をつかみながらはいのぼる。20分ほどで、腰の高さほどのネットが行く手を阻んだ。まるで城壁のように張り巡らされている。
マツタケが生える場所「ツボ」を囲うように網を張るという。足を踏み入れた瞬間、また驚いた。「ピーピー」「ウーン」。あちこちでけたたましく鳴る警報音や犬の鳴き声、銃声に似た音が響く。センサーが動物を感知すると、自動的に鳴る仕組みだ。その数は、鹿の被害とともに年々増加し、今年は計約60個が昼夜問わずツボを見張る。
「ここはあるよ。めっちゃある。ほれここ」。けたたましく鳴る音の中で、男性の声が弾んだ。ツボの斜面で、男性がそっと土をはらい、根元を持ち上げると、白く大きなマツタケが姿を現した。芳醇(ほうじゅん)な香りが鼻をくすぐる。「これが日本で一番香りのええマツタケや」と男性は胸を張った。
ツボは山中に何カ所も点在する。中には「拝みたくなるほどええもんが採れる」という意味で「観音ツボ」と呼ばれる場所も。そこでは、名の通りの大きなマツタケが生えていた。
ツボの維持には整備が欠かせない。マツタケはアカマツの根に菌が共生し、土中に「シロ」と呼ばれる白っぽい菌糸の塊を作り、生える。痩せた土地を好み、適度な日差しや風通しの良さが必要だ。
男性は父親から「女の人が日傘さして、ハイヒールで歩ける山がええ」と教わった。かつては、林床に生える小さな雑木がたき付け用に刈られ自然と環境が維持されていたが、燃料がガスなどに変化し、林に腐植土がたまるように。「こんなに土が。これじゃ出るはずがない」。男性が土を掘ると、約20センチ下にシロが埋まっていた。
男性は、採取期間中、2日に1度はこの山に登るが、その度に、しばをなたで切り払う。背中に負った竹かごが埋まるほどマツタケが採れるのは、こうした整備の努力のたまものだ。
◇対策は全て自腹「捕獲強化を」
かさを開かせて、マツタケの胞子を飛ばすため、あえて数日間採取せずに置いておくものもある。「来年以後にも採れるように」との配慮だ。かごをかぶせ、目印に枝を添える。
だが、鹿はそんな思いはお構いなしだ。別のツボでは、10月初旬に10本ほどあったはずが、数日後には鹿に食べられていた。鼻がきくので、まだ地上に出ていないマツタケを食べられることもあるという。同行中も3カ所で無残に根元だけが残るマツタケを見つけた。根元の大きさから見て、1本1万円ほどになるはずだったという。
男性が、鹿の害を強く感じるようになったのは約15年前から。猟師から鹿の生態を学び、鹿が嫌がる赤いキラキラとしたテープを張ったり、網の下を丸太で固定したりと、工夫を重ねた。だが鹿は1カ月すると対応してくるらしい。網は硬くて強い鹿の歯でかみ切られたらひとたまりもない。この日も、男性は何カ所もの網の前で立ち止まり、破損箇所を結束バンドでつなぎ直した。
センサーや網の設置、補修はすべて自費だ。「もちろん自然のものやから、鹿が幾分か食べるのは覚悟している。ただ、これだけ対策しても、囲いの中だけで今年は約50本の被害。環境を整備して、鹿に餌があるよと教えてるようなもんや」と男性は話し、行政に「鹿の捕獲をより強化してほしい」と願う。
◇好物の植物減り、食性に変化か
兵庫県森林動物研究センターによると、同県内の鹿は推定値で2002年度約8万頭だったが、年々増加し、10年度には14万頭に。捕獲頭数を増やした結果、近年はやや減少したが、18年度は11万頭。丹波篠山市でも、02年度は約1600頭だったが、14年度に約5800頭まで増え、18年度は約4200頭だ。
同センターの担当者は「鹿が増え、好物だった植物が減少して、マツタケを食べる食性に変化したと考えられる。網で囲う方法が現実的」と指摘する。一方、兵庫県丹波農林振興事務所の森林担当者は「鹿に食べられるという話は聞く。しかし、マツタケは市場を通じた出荷以外に、個人で取引先へ販売する例も多く、取れ高や被害が把握しづらいため、食害対策への公的な補助が難しい」と話す。
ふもとに戻ると、入山してから4時間がたっていた。この日は今季一番の取れ高だったといい、大きな竹かご2個がマツタケで埋まっていた。「環境さえ整えば、丹波篠山の山はええマツタケが採れる。長年受け継いできた地域の食文化のはずなのに、守るんは自己責任なんか……」。男性が見つめる先には、かつて「マツタケ山」だった山々が広がっていた。