「ずっと一緒にいたかった」9日間放置され死亡した3歳児 法廷に立った26歳の母親が背負う“虐待の連鎖”

[ad_1]

「ずっと一緒にいたかった」9日間放置され死亡した3歳児 法廷に立った26歳の母親が背負う“虐待の連鎖”

(写真:TBS系(JNN)

■「大好きで、一緒にいたかった」9日間放置した事実との矛盾

検察官から放置された娘の気持ちを聞かれ、母親は答えた。

「のんちゃん(死亡した娘)はうちのことが大好きだった。うちと同じで大好きで。常に、生まれたときから、うちがみえなくなると、離れると、泣く子だったので。きっとうちがいない間、泣いたり、我慢してたかなって・・・寂しかったと思うし、うちといっしょで、うちと一緒にいたいって、泣いてたかなって」

うちと同じで。うちといっしょで。母親は死亡した娘に自分を重ね、自分も同じように娘が大好きで、一緒にいたかったのだと主張した。しかし、大好きで、一緒にいたかったはずの娘は9日間放置され、衰弱死した。

シングルマザーの梯沙希被告(26)は、おととし6月、鹿児島まで9日間の旅行に出かけている間、長女の稀華ちゃん(3)を東京・大田区の自宅アパートに放置し、脱水と飢餓で死なせた罪などに問われている。東京地裁で開かれた初公判で、梯被告は起訴内容を認めた。検察側は「鹿児島には交際相手に会いに行った」「身勝手な犯行」と指摘。弁護側は、梯被告の子どものころの経験が犯行に影響していると訴えた。

弁護側の証人として出廷した子どもの虐待に詳しい臨床心理学の専門家は、梯被告にはいくつかの特徴がみられると証言している。ひとつは、被告自身への「壮絶な虐待」の影響。そして、もう一つが、人生の大半を施設で過ごし「古いタイプの集団養育」がされた影響だった。

■包丁で刺され、ゴミ袋に入れられ、風呂場に投げられた過去

梯被告は小学校低学年のころ、母親から虐待を受けていた。そのころの状況を梯被告は次のように振り返る。

「(母親は)機嫌が悪いとご飯くれなかった。暴言を吐かれたり、もので叩かれたりしました。お前は私の言うことがきけないのか、あんたのお母さんじゃない、生まれなきゃよかった、とか言われました」

最初は嫌だと言っていたが、徐々に抵抗はしなくなったという。虐待はエスカレートした。

「口を縫われたり、包丁で刺されたり、お風呂の水で沈められたり、(ガムテープで)縛られたりしました。ビニール袋に入れられたり、目隠しをさせられたり、階段から落とされたこともありました。・・・最後に覚えているのは、包丁で刺され、ゴミ袋に入れられ、風呂場に投げられた。怖い、辛い、苦しくて、でも何も言えなかった。気づいたら病院でした」

母親は逮捕された。梯被告は保護され、その後児童養護施設で18歳まで生活する。自分が受けた虐待について、梯被告は数年間記憶から消えていたという。しかし、小学校高学年でガムテープのにおいを嗅いだのをきっかけに、当時の様子がフラッシュバックする。よみがえった記憶が怖くてたまらなかったが、自分の経験についてその後も誰にも相談することはなかった。

「話したいと思うけど、言えなかった。苦しくて言えない。周りは、みんなが怖く見えました。どう接していいかわからない。全部、お母さんと一緒だなと思ってしまって、余計言えなくなりました。相手に合わせて、常に笑っていました」

■「おまえは何も言わずに笑ってればいい」

裁判の中で梯被告は、自分の行動を説明する際に何度も繰り返した言葉がある。それは『言えない』と『笑ってればいい』だった。その2つの言葉を梯被告が初めて口にしたのは、母親からの虐待の経験を語っているときだった。

「お前は何も言わずに笑っていればいい、と(母親に)言われました」

そして実際、梯被告はその後の人生を、本心は何も言わず、ただ笑って、過ごしていったようだった。稀華ちゃんを置いて鹿児島に旅行をすることを決めたのも、本心は何も言えなかったからだという。

検察官「鹿児島に行ったのはなぜですか?」
梯被告「誘われて・・・断れずに、行きました」
検察官「子どもがいるから無理と言えばよかったでは?」
梯被告「なぜか、言えなくて。本当は言おうとしたんです。でも言葉が出なくて・・・。それで、そうですねー、くらいしか言えなくて。本当は言いたくてたまらないんですけど・・・、なんか、言えない。自分にもむかついているんですけど・・・」
検察官「稀華ちゃんを連れて行こうとは思わなかったんですか?」
梯被告「連れていきたいけど、言えないし・・・。迷惑になるし・・・。まして、自分も行きたくないと思っていたし・・・、自分だけが行くことにしました」
検察官「誰かに(預かってもらえるよう)お願いしようとは?」
梯被告「言えないです・・・」
検察官「なぜですか?」
梯被告「言えないからです」

一般的な常識からすると「言えない」ことが、「子どもを置き去りにする」理由になるとは考えづらいかもしれない。しかし、弁護側は梯被告の行動を「虐待を受けていない人と比べてどれだけ非難できるのか、どれだけ刑務所に入れておかなければならないのか、考えてください」と訴えている。

■施設養育の課題 治療されなかったトラウマ

この裁判を、他人事とは思えず注目している女性がいる。生まれてすぐ親から育児放棄され、18歳まで施設で育った山本昌子(28)さんだ。現在は施設出身者の居場所支援などの活動をしている。命が失われたことは許せないと前置きしたうえで、この事件を“特別”とも言いきれないのではないかと感じたという。

「報道を見て、梯被告は児童養護施設出身なんだ。そして彼女自身も、新聞に載るくらいの虐待を受けてたんだと思いました。施設ではおそらく普通に見えたんじゃないかと思います。笑っていて、心配ないのかなって、周囲は積極的なケアはしなかったのかもしれないと思いました。大変な虐待を受けて、施設でケアがされずに育ったのなら、寂しくてしょうがなくて、その瞬間を生きるために、彼女自身が生き抜くために、常識的な判断ができないのかもしれないと思いました」

この事件を受け山本さんは、虐待で施設などで暮らす子どもや、施設を出た若者への心のケアの拡充を求める署名活動を始めた。児童養護施設に入所する子どもの半数以上が虐待を受けている現状の中、子どもへの心理的ケアが行き届いていないことが示唆されたと感じたからだった。2021年7月には4万人以上の署名と提言書を厚生労働省に提出している。

梯被告にとって施設とはどんな存在だったのだろうか。弁護人に稀華ちゃんを施設に預けようと思わなかったのか問われた際には、こう述べている。

「少し思ったけど、うちは施設をいいように思っていなくて、入れたくないなって」

施設で育っている間も、職員、子どもたち、周りのみんなが、虐待をした母親と一緒に見えて、顔色を伺い、本心は言わずに、常に笑っていたと話した。カウンセリングを受けた経験はあったが、その際も自分の虐待の経験については言わなかった。

証言台に立った臨床心理学の専門家は、梯被告が施設で育った影響について、“古いタイプの集団養育”で、個として大切にされることがなかった点に注目している。主たる養育者が不在だったことによる愛着形成の問題に加え、虐待によるトラウマを認識していたにも関わらず、治療やケアがされなかったことが、梯被告のその後の人生へ大きな影響があっただろうと指摘した。

■「ずっと一緒に笑っていたかった」涙で語った後悔

稀華ちゃんが生まれた時、梯被告は思いを新たにしたという。

「のんちゃん(稀華ちゃん)にはうちしかいないから、うちみたいな人生は歩んでほしくないから・・・、この子のためにがんばろう。のんちゃんには、心から笑ってほしい」

しかし、稀華ちゃんの人生はあまりにも悲しい終わり方となった。最後に、梯被告は涙を流しながら今の気持ちを語った。

「うちがこんなに弱くなければ、言いたいことも言っていたら、相手に合わせていなかったら、何もかもが違ったし、もっとたくさんのことしたり、こころにも余裕が・・・どこかでもっともっとがんばって勇気を出していたら・・・。こんなことしたかったんじゃない・・・。のんちゃんにこんな思いさせて、寂しい思いさせて、大事な人生を・・・後悔しています。うちはずっと、全部我慢していた。一人でがんばってれば、そうしてればって・・・。一人で我慢の限界もどんどんこえていたことも、過去に縛られてきたことも、全部間違えだと気づくのが遅かった・・・のんちゃんとずっと一緒に笑っていたかっただけだったのに・・・後悔しかない。ごめんね・・・」

検察は懲役11年を求刑した。“虐待”と“古いタイプの集団養育”。梯被告の人生を大きく変えた背景が、今回の犯行にどれほどの影響を及ぼしたと考えられるのか。判決は2月9日に言い渡される。
(06日14:30)

[ad_2]

Source link