赤ちゃんポストに入っていた瞬間のことは、よく覚えていない。ただ、「扉のようなもの」の映像が、ぼんやりと頭に残っているだけだ。
2007年5月、熊本市の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」と呼ばれる赤ちゃんポストが開設された。〈ぼく〉はそこに預けられた。
高校を卒業し、この春に大学生になる宮津航一さん(画像の一部を修整しています)(5日、熊本市内で)=中嶋基樹撮影
成長とともに、「ゆりかご」は実の親が育てられない子どもを病院が預かる仕組みだと知った。そこには、「子捨てを助長する」という批判があること、これまでに159人が預けられたということも。
この春、〈ぼく〉は高校を卒業した。この機にゆりかごのことを語ろうと思う。159人の1人として。そして、匿名ではなく、<宮津航一>として。
「ゆりかごがあって、自分は救われた。当事者だからこそ、『ゆりかごから先の人生も大事だよ』と伝えたい」
育てられぬ親のために「秘密で預ける」という選択肢
ナースステーションのブザーが鳴って看護師らが駆けつけた時、その幼い男の子は、新生児用の保育器の上にちょこんと座っていた。
2007年、熊本市の慈恵病院にできた赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」。病棟1階にあるその扉の中で、宮津航一さんは発見された。
現在のゆりかご。両親宛ての手紙を取ると扉のカギが開く(慈恵病院で)
誰に連れてこられたのか、分からない。青いアンパンマンの上着を着て、時折、笑顔も見せたという。
「ゆりかご」は、様々な事情で子どもを育てられない親が、人に知られず、病院に子どもを託す仕組みだ。
病院としては、預け入れられるのは「赤ちゃん」を想定していた。ところが、航一さんは、身長約1メートル、体重は14キロ。話しかければ受け答えもできる幼児であり、ちょっとした「想定外」の事態だった。
熊本県内では、05年から06年にかけて、乳児の置き去りや、出産後に放置して殺害する事件が相次いだ。
なぜ救えなかったのか。このまま何もしないでよいのか――。
産婦人科医で、当時の慈恵病院の理事長だった蓮田太二さん(2020年に死去)は考えた。ちょうど04年にドイツの赤ちゃんポスト「ベビークラッペ」を視察したばかり。太二さんは「日本版赤ちゃんポストを作ろう」と決意し、06年12月、ポスト設置のための施設の用途変更を市保健所に申し出た。