ゴルバチョフ氏とプーチン氏の「冷たい関係」 互いに批判繰り返し


ゴルバチョフ氏とプーチン氏の「冷たい関係」 互いに批判繰り返し

ドイツ北部でプーチン・ロシア大統領(右)と話すゴルバチョフ元ソ連大統領=2004年12月21日、AP

【写真】ゴルバチョフ氏 執務室に飾った肖像画は

 ◇プーチン氏「国に甚大なダメージ」

 共産党が一党独裁を続けたソ連の最高指導者を務めた過去を持ちながら、ゴルバチョフ氏はしばしば民主主義の価値を説いてきた。2000年に大統領に就任したプーチン氏と初めて会談した同年8月には「ロシアに秩序と責任感が必要とするプーチン大統領の路線を支持する」と明言した。

 ところがプーチン氏が当時の最大の任期である2期8年を全うした後に首相に横滑りしたことから、批判的な発言を漏らすようになった。11年8月に毎日新聞と会見した際、ロシアは「(長期独裁国が多い)アフリカのような状況といえる」と批判。プーチン氏についても「今なら多くの業績を残した人物として(政界から)退くことができる」とも語った。15年12月に再度、毎日新聞とのインタビューに応じたときも、3期目の大統領に返り咲いたプーチン氏による統治を「個人による権威主義的な統治と反民主的傾向が続いている」と評した。

 一方で、プーチン氏によるゴルバチョフ氏の評価も手厳しい。15年7月に米国の映画監督オリバー・ストーン氏とのインタビューに答え、ゴルバチョフ氏がソ連の最高指導者に就いた当時は「国に変革が必要であることは、ゴルバチョフにもその側近にも明らかだった」と指摘。しかしゴルバチョフ氏や周辺が「どのような方法で実現すべきかはまるでわかっていなかった」「だからこそ国に甚大なダメージを与えるようなことをいろいろとやった」と酷評した。

 プーチン氏によるゴルバチョフ批判は、現在のロシアのウクライナ侵攻の遠因の一つとも言える北大西洋条約機構(NATO)に関する問題にも及ぶ。米国は1990年のドイツ再統一を前にして、ゴルバチョフ氏の同意を取り付けようとして、当時の共産圏にNATO加盟国を拡大しないと約束したとされる。しかし90年代後半以降、この「約束」はほごにされて、東欧諸国やソ連に組み込まれていたバルト3国などが次々とNATOに加盟したことから、ロシアが対米不信を募らせる一因となった。

 米国の「約束」について、プーチン氏はストーン氏とのインタビューで次のように触れている。「約束は書面にされてはいなかった。その誤りを犯したのはゴルバチョフ氏だ」「政治の世界では何事も書面に残さなければならない。だがゴルバチョフ氏はペラペラしゃべっただけで十分だと判断した」。こう語り、米国の口約束を安易に信じた結果、NATOの東方拡大を許してしまったとの見解を示した。

 90年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ氏は、欧米諸国で高く評価されたが、ソ連崩壊を防げなかったこともあり、ロシア国内の評価は高くなかった。一方で、ロシア国内ではプーチン氏がソ連崩壊後の混乱を収めたことなどを評価されてきたが、欧米諸国からは強権的な統治方法や隣国ウクライナへの軍事侵攻などを批判されている。両氏のコントラストは鮮明だ。

 ただしゴルバチョフ氏は欧米寄り一辺倒の政治家だったわけでもない。プーチン政権が14年にウクライナ南部クリミアを強制編入すると、これに支持を表明した。またソ連末期のリトアニアで独立運動が激しくなると、武力鎮圧を試みた結果、死者を出したことにも批判が残されている。【大前仁】



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