イカ天でブレイクのたま、解散20年もランニング姿の石川浩司は欧州で人気「音楽だけで暮らせる」

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自由な生き方を肯定してくれた妻と両親に感謝

イカ天でブレイクのたま、解散20年もランニング姿の石川浩司は欧州で人気「音楽だけで暮らせる」

両親、妻について語る石川浩司【写真:ENCOUNT編集部】

【写真】空き缶コレクターとして有名な“たまのランニング”石川さんのお宝第1号「阪神のジュース缶」

 たまは『イカ天』初登場から1年後の1990年、『第32回日本レコード大賞』で最優秀ロック新人賞を受賞し、『第41回NHK紅白歌合戦』に出場した。その人気から生まれた言葉「たま現象」は、同年の『現代用語の基礎知識』にも収録された。

「イカ天がなければ、ここまでたくさんの人に知られることはなかったです。バンドが解散してこの歳になっても、音楽だけで暮らしていける。それは普通あり得ませんから。人生を変えてもらった番組ですし、本当に感謝しています」

 石川は、丸刈り頭でランニングシャツ姿。バンド4人の中でひと際目立っていた。少年時代から手先が不器用で人の顔を覚えることも苦手。学校では生徒だけでなく、教師からもいじめを受けていたという。

「のんびりした性格で体も弱かったので、他の人が普通にできることが自分にはできないと分かりました。だったら、『不器用な自分を見て、笑ってもらった方が楽に生きられる』と思ったのが、最初のきっかけです。人を笑顔にするのが好きで、それでいじめがなくなるなら良いと思ったんです」

 中学、高校時代は読書と深夜ラジオ番組に熱中。浪人を機に東京で一人暮らしを始めた。

「仕事も何もせず、楽に生きたかったので親には『将来、古本屋をやりたい』と口任せに言って、高円寺のアパートで一人暮らしを始めました」

 そんな石川を両親はどう見ていたのか。

「公務員だった父親は家に帰っても、残りの仕事を遅くまでやるような真面目を絵にかいたような仕事人間でした。反対に僕は大学を中退して、何年もバイトをしながらフラフラと生きていました。見かねた母親が『浩司は大丈夫なのかしら』と父親に相談したら、『あいつは好きなようにさせておいた方がいい』と言ってくれたそうです。後で知ったのですが、父は大学で演劇をやっていて卒業する時に公務員になるか、俳優養成所に入るか迷った過去があったそうです」

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